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ヴィヴァルディの夏 [音楽]

02_Vivaldi.pngアントニオ・ヴィヴァルディの後半生は不遇であった。18世紀初頭のヴェネツィアで人気を博し、彼の作品の多くは生前に楽譜が出版された。だがやがて人気が翳るとパトロンを失い、追い打ちをかけるように音楽の師であり同志でもあった父が世を去った。失意のヴィヴァルディは、齢60を越えてから再起をかけウィーンに渡る。だが、再び花開くことのないままウィーンで63年の生涯を終えた。

その後およそ二百年にわたり、彼の作品の大部分は所在不明となり、一部の学者やマニアを除きヴィヴァルディの名は忘れられていた。再発見のきかっけは偶然訪れた。1926年、トリノ近郊の修道院が、財政再建の一環で所蔵資料の売却を決めた。その鑑定を依頼されたアルベルト・ジェンティリという音楽学者が、送られてきた箱の中に失われたはずのヴィヴァルディの自筆譜を大量に発見し驚愕する。だが篤志家の寄付で入手した楽譜を精査したジェンティリは、楽譜のページが半分ほど欠損していることに気づく。気落ちしたジェンティリであったが、失われた文献資料の片割れがまだどこかに存在するはずだ、と希望を捨てなかった。

楽譜の足取りを丹念に調べ上げたジェンティリは、ついにその片割れの所有者にたどり着く。しかしジェノヴァ貴族の末裔であったこの人物は極めて偏屈な男で、売却交渉は難航する。出版不可・演奏不可という理不尽な条件を飲んでようやく男を説得したジェンティリは、別の篤志家の助力で残り半分の楽譜を手に入れる。その後長い法廷闘争の末ついに出版演奏の権利を勝ち取ったが、その頃ムッソリーニ政権下のイタリアは暗い戦争の陰に覆われ始めていた。世界の大半がヴィヴァルディを「再発見」するのは、第二次大戦が終わってからのことである。

ヴィヴァルディでとりわけ有名な作品はやはり『四季』だろう。個人的には『夏』が一番好きだが、夏という表題と似合わず、この曲はとにかく暗い。『四季』の中で全楽章が一貫して短調なのは『夏』だけだ。灼熱の日差しの中まるでヤル気が出ず、しかも嵐の到来を予感させる北風に不安が募る一楽章。近づく遠雷と飛び交うハエに気が滅入る二楽章。案の定ついに嵐が襲い掛かり大雨が大地に叩きつけられる三楽章。という具合に、身も蓋もない。

ヴィヴァルディは夏が大嫌いだったんだろうか。それとも、イタリアの夏ってこんな風なのか?私たち日本人が想像する夏の印象は、もっと明るい。空にもくもくと聳え立つ入道雲。競うように鳴き交わす蝉の声。麦わら帽子とか虫取り網とか、昭和に幼少期を過ごした世代にとって、夏はノスタルジーに満ちている。

だが、近年の夏はちょっと様子が違う。ジリジリと照り付ける陽光は、身の危険を感じるほどだ。夏場になると、熱中症で搬送される高齢者や子供のニュースが後を絶たない。かと思えば、集中豪雨が各地を襲い、深刻な浸水被害をもたらす。なんかちょっとヴィヴァルディが描いた夏のおどろおどろしさに近づいて来た気がしないでもない。

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