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似ていて違う [音楽]

music_acostic_guitar.pngエド・シーランが著作権侵害で訴訟を起こされたが、5年超にわたる審理のすえ原告の訴えは退けられ、勝訴した。彼の『Thinking Out Loud』がマーヴィン・ゲイの『Let’s Get It On』をパクったと指摘されたのである。私はこのジャンルに全く疎いが、YouTubeでググると簡単に聴き比べができる。確かに曲の雰囲気は似ているが、少し違う意味でどちらも美しい。突き詰めれば、音楽におけるオリジナリティとは何かという問題に行き着く。

元曲とされた『Let’s Get It On』は、単純化すればC→Em→F→Gのコードにメロディーを載せていく。一方シーランの『Thinking Out Loud』はC→C/E→F→Gとなり、2番目がやや違うがほぼ同じコード進行で、ベースラインも同一である。その骨格を構成するトニック→サブドミナント→ドミナントのパターンは、西洋音楽では基本中の基本だ。バッハの平均律第一巻、ニ長調プレリュードの出だし2小節も(ベースラインを含め)同じパターンだ。バロック音楽の時代から変わらず愛され続けた、いわば鉄板素材である。

使い古されたコードを流用するだけの音楽は陳腐で退屈だが、突飛で聞き慣れない音列をただ連ねても誰の心にも響かない。新しさと懐かしさが絶妙に共存する奇跡が名曲の条件である。何気なく嗅いだ香りが思いがけず古い記憶を呼び起こすように、ふと耳に入った音楽が言葉にならない遠い既視感を呼び起こすとき、人の心のひだをそっと揺さぶるのである。

ブラームスの第一交響曲最終楽章のテーマが、ベートーヴェンの第九『歓喜の歌』に少し似ている。それを指摘されると、ブラームス本人は「そんなことはどんなアホにでもわかるよ」と答えた。逆ギレのようでいて、もちろんブラームスが言いたかったのはそこではない。どこか似てるけど本質は違ってそれぞれ良い、その繰り返しが音楽史を豊かに彩ってきたのである。

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