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男はつらいよ50周年 [映画・漫画]

来年ドラえもん50周年を迎えると先週書いたが、奇しくも今年は『男はつらいよ』映画第一作から50周年でもある。この年末には往年のキャストが同窓会のように集結し新作が公開されるらしい。しかも寅さん本人が4Kデジタル修復で蘇るという触れ込みだ。よくわからないが何だかすごい。

eiga_kachinko.png渥美清の生前に作られた『男はつらいよ』シリーズは48作ある。寅さんが旅して恋してフラれる、という水戸黄門ばりの鉄板ストーリーでファンの期待を裏切らない。だが失恋パターンには何通りかあって、マドンナが寅さんの本心に気付いてすらいないこともあれば、実質的には寅次郎のほうが好きなはずの相手をフッていることもある。寅さんは恋を妄想し始めるとなりふり構わず暴走するのに、いざ妄想が実現しそうになったとたん急にそのリアリティが怖くなって逃げ出すのである。そんなとき笑ってごまかす寅さんを見つめる妹のさくらは、いつも泣きそうな顔をしている(本当に泣いてしまう回もある)。人並みの幸せを受け止めるには諦観の深すぎる寅次郎がさくらにはもどかしくてならない反面、兄の孤独を誰よりもよく理解しているのもまた彼女のようである。

シリーズ後半から準主役級の存在感を放ち始めるのが、さくらと博の一人息子満男である。大人社会のしきたりから自由な寅さんと、世間の良識を代表するさくらとその家族。この相容れない価値の衝突が『男はつらいよ』の可笑しさと哀しさの源泉であるが、満男はやがて居場所を求めてそのはざまを彷徨うようになる。思春期の悩みに悶々とする満男に寅次郎は何ら実践的な解決を示すわけではないが、世間的な成功とか安定とは無縁のところで生き延びてきた寅さんのおおらかさに、さくらや博の親心とは別次元の優しさを満男は嗅ぎとるのだ。これはまた、ワケありのマドンナたちが寅さんに惹かれる理由でもある。

話は変わるが、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』で恋に夢中なトト青年にアルフレード老人が語り聞かせるこんな寓話がある。とある国の王女様に護衛の兵士が恋をした。身分違いと知りながら気持ちを抑えられない兵士は、ある日王女に思いを打ち明ける。驚いた王女は、それなら私のバルコニーの外で100日間待っていなさい、100日目にあなたの気持ちに応えましょう、と告げる。喜んだ兵士は王女のバルコニーの下に椅子を置いて座り込んだ。10日、20日がたち、50日が過ぎ、風の日も雪の日も兵士はひたすら待ち続けた。90日が過ぎる頃には、兵士の肌は干からびて真っ白になった。しかし99日目の夜、兵士は不意に立ち上がると椅子を持って王女の前から姿を消してしまう。アルフレードはその理由を語らず、トトも観客も煙に巻かれる。でも私は、この兵士に寅次郎の遠い面影を見る。

『男はつらいよ』は一見あまりに日本の下町的な人情話で、海外とくに欧米圏では理解されにくいのではないか、と思われるが案外そうでもない。寅さんがウィーンに行く話があるが、これはもともと出張中の機内で『男はつらいよ』を見た当時のウィーン市長が感激し誘致したのがきっかけだという。先の話で王女に恋い焦がれた兵士は、夢想が現実になる瞬間を目前にした99日目、寅次郎と同じくその重さに耐えられなくなったのではないか。根っから純粋なこの兵士には、手の届かない幸福を永遠に求め続けることだけが心の糧だったのである。日本映画とイタリア映画に登場する縁もゆかりもない二人の人物に同じ匂いを感じるのは単なる偶然か、それとも洋の東西を問わない人間の哀しさなのか。

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