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自由になりたかったヤギの話 [フィクション]

animal_koyagi.pngどこか見覚えのある古民家の母屋で、私は冷えたスイカをかじりながら板張りの廊下を歩いている。すると、開け放たれた大きな居間ごしに、縁側に座る祖父の背中を見つける。私は神棚の前を駆け抜けて祖父の隣に腰を下ろし、口の周りに引っ付いたスイカの種を手で払いながら、ニュースで聞いたばかりの小ネタを報告する。
「千葉県でね、おうちから逃げてたヤギが、とうとう捕まったんだって。ずっと崖の上を逃げ回ってたから、ポニョって呼ばれてるんだってさ。」
祖父が静かに笑って答える。
「崖の上に逃げたヤギ?そんな物語が『風車小屋だより』の中にあったな。ドーデっていうフランスの作家が書いたお話だよ。」
「どんな話?」
そう言えば祖父はフランス文学のセンセイだった、と私は思い出す。

「山の麓にスガンさんっていう独り者が住んでいてね、ヤギを飼っていたんだ。とても可愛がっていたんだけど、ヤギのほうは不満だった。とにかく自由になりたくてね。」
「で、逃げ出したの?」
「そう、逃げ出した。スガンさんはあらかじめ忠告したんだ、森には怖い狼が住んでいて、自由になった途端おまえはすぐに取って喰われてしまう。だからここにいたほうが安全だと。」
「ヤギはなんて答えたの?」
「こんなちっぽけな庭先で一生暮らすのは退屈でたまらない、とね。首尾よく逃げ出したヤギは、一日じゅう野山を駆け回り、心の底から自由の喜びを満喫した。崖の上から見下ろした美しい景色の片隅にスガンさんのちっぽけな家を見つけたときは、思わず笑い出してしまった。野生の山羊の群れに出会ったときは、美しいスガンさんのヤギにみな心を奪われて、すっかり王女さま気分さ。」
「それで?」
「そして夜が来た。ヤギはふと不安になったけど、スガンさんの狭い庭に帰るなんてまっぴらだった。夜の帳がすっかり降りたころ、暗闇から狼の遠吠えが聞こえた。気付いた時には、目の前に爛々と輝く一対の眼光が迫っていた。」
「食べられちゃったの?」
「スガンさんのヤギは勇敢だったよ。大きな狼に深手を負わされながら、何度も立ち向かっていった。なんとか夜明けまで持ちこたえられれば・・・それだけを考えて夢中に戦った。やがて地平線が白み始め、一番鶏が鳴いた。でもヤギにもう抵抗する力は残っていなかった。狼の勝ちだ。」
そこまで言って祖父は息をつく。庭の木々でクマゼミがひっきりなしに鳴いている。

「悲しい話だね。」
「ああ。でもね、これはフランスの田舎に住むドーデが、パリの友達に書き送った忠告なんだ。友人が詩を書いてばかりで貧しい有様を見かねて、大きな新聞社の仕事を紹介したのに、友人は自分から断ってしまったんだ。」
「なんで?」
「新聞社で記者をやれば暮らしは豊かになるけれど、会社の言うことには逆らえないんだよ。自分の好きな詩を書いて暮らすわけにはいかなくなる。友達は、安定より自由を選んだんだ。スガンさんのヤギのようにね。」
「詩ばかり書いていると、オオカミに食べられちゃうの?」
祖父は可笑しそうに笑う。
「もちろん、食べられたりはしないよ。でも、自分の思いを貫き通すってことは、ときに命取りになるんだ。」
祖父の優しい声色が、不意に揺らいだような気がする。思わず見上げた祖父の顔が、真夏の陽射しのせいか、セピア色に褪せていくように見える。慌ててうつむいて話の続きを待つが、祖父はそれきり黙り込んでしまう。かすかなそよ風が、そっと風鈴を鳴らす。
「もしおじいちゃんだったら、そんな時どうするの?」
祖父はやはり何も言わない。怒ってしまったのだろうか?ぎこちない沈黙が流れ、風鈴がまたチリンと鳴る。そして、祖父はほとんど聞き取れないくらいの小さな声で話し出す。

「インドシナを知ってるかい?フランスの占領下にあって、いま日本軍が戦っている。おじいちゃんはフランス語が話せるから、軍に呼ばれているんだ、戦争に協力しなさいとね。でもそれは、大好きなフランスを敵に回すことになる。そんなことは、ぼくにはできない。」
私は返す言葉が見つからない。話の内容はよくわからないが妙な胸騒ぎがして、握りしめたスイカの皮をただ黙って見つめる。
「ぼくにはね、ドーデが本気で友人を責めていたとは思えないんだ。スガンさんのヤギは、軽率で愚かな若造じゃない。ドーデは、ヤギを勇敢で信念に満ちた真っ直ぐな心の持ち主として描いたんだ。やはり、自由は何にも代えられない宝物なんだよ。とりわけ、大切なことをだいじに想い続ける心の自由はね。たとえ、どんな犠牲を払ったとしても。」
再び、祖父の声が揺らいでかすれる。今度は絶対に気のせいではない。
「犠牲って?正しいことをしているのに、どうして犠牲を払うの?」
スッと首筋を撫でる温かい風を感じて、私は顔を上げる。そこに祖父の姿はない。空っぽの縁側に降り注ぐ陽射しは、心なしか夕暮れの陰りをまとっている。クマゼミの合唱はいつの間にか途絶え、どこかでヒグラシが鳴き始めている。ずっと遠くで、お寺の鐘が鈍く時を告げる。



第二次大戦の暗い気配が色濃くなる頃、関西日仏学館に在籍した吉村道夫という仏文学者がいた。公式サイト中のページにこのような下りがある。「・・・日本の敗戦後四ヶ月にわたる復興作業ののち、戦前と同じスタッフで再開館した。ひとつの机には主が帰ってこなかった。ジロドウの若き翻訳者であった吉村が、戦争の最後の日、中国で戦死した。インドシナ占領に協力することを拒んで、召集され中国へ送られた。インドシナ占領を拒んだのは、愛するフランスに敵対して働かざるを得なくなるのを避けたのだった。・・・」

吉村道夫には二人の幼い娘がいた。先立たれた妻が女手ひとつで育てた娘の一人が、私の母である。母が他界まぎわまで自室に置いていた一葉のモノクロ写真が、私にとって祖父の面影を知る唯一の手掛かりだった。ここ何年か仕事仲間を訪ねてフランスを訪れる機会が増え、あの時代にフランス文学を志した祖父はどんな人だったのだろうと、ふと考えることがある。今日は75年目の終戦の日、75回目の祖父の命日でもある。

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