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開会に寄せて [スポーツ]

東京オリンピックの開会式が、今週金曜日に迫っている。紆余曲折を経てついに開幕を目前に控えたいま、相変わらず場外がいろいろ騒がしい。開会に寄せて、小ネタをまとめておきたい。

figure_depressed.pngウガンダの重量挙げ選手が失踪した。ウガンダ選手団全体が濃厚接触者として自己隔離したあとだったので、騒ぎはいっそう大きくなった。この選手は直近の世界ランキング変動の結果オリンピック出場資格を失ってしまい、一人帰国を余儀なくされていたそうである。だから逃げて良いわけではないが、はるばる東京までやってきた矢先に夢の舞台から門前払いを喰らい、心が折れてしまったのか。故郷の家族を支えるため日本で仕事を探したい、と書き置きを残していたそうで、その律儀さがなんだか切ない。しかし日本の就労許可はお持ちでないはずなので、早く見つかって連れ戻された方がご本人のためにも良さそうである。

バッハIOC会長の歓迎会が人数限定・飲食抜きで行われ、このご時世に浮かれるなと迎賓館の外では抗議デモが繰り広げられたそうである。メシなし酒なしの徹底した倹約レセプションを「男爵」ご本人が本心でどう思っていたかは知らないが、感染対策を取った上で地味にセレモニーを開くことに、異を唱える理由はない。好き嫌いは別にして客は客だし、賛成か反対かは別にして五輪は始まるのだ。取引先のボスが高飛車なヤツでも、契約にしがみつくと決めたのなら、ビジネスライクに礼儀は通さないといけない。

早くも選手村で感染者が見つかったようである。少なくとも入国時の水際対策が万全でないことは、あっさり証明されてしまった。少数の陽性者発生は想定内で、検査と隔離が速やかに回る限り、それ以上の飛び火は防げるだろう。だがゴキブリホイホイと同じで、そこで見つかるウイルスがいるなら、その陰で検査をすり抜けているウイルスもたぶんいる。選手や関係者の入村が本格化するのは今からだし、選手村の外でも五輪関係の人の動きはますます活発化していく。懸念の種は尽きないが、とにかくオリパラ感染が大惨事にならず大会が無事終わることを祈る。

開会式のクリエイターチームの一人、コーネリアスこと小山田圭吾氏の「障がい者いじめ」問題が炎上している。オリパラの理念にふさわしくないという辞任要求派と、90年代の雑誌記事を蒸し返して吊るし上げるべきではない、という擁護派に意見が割れるようである。この期に及んでまた「意識低い系」オリンピック関係者の醜聞かと思いきや、小山田氏が吹聴したとされるいじめの内容は見識を欠く若気の至りで流せるレベルではなく、その陰惨さ・おぞましさにドン引きする。しかし組織委の学習能力の低さは筋金入りで、今回も主催側ワンチームで留任をサポートする目論見だったようだが、結局辞めるハメになった。この展開は何度目だろう?これほど絶望的なまでに危機管理意識が欠落した組織委が、オリパラのコロナ感染対策を仕切っている現実は、空恐ろしくないか。ウガンダの選手よ、私たちも一緒に逃げて良いか?

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怒りとは理解の不足である [スポーツ]

sport_tennis_set.png大阪なおみ選手が、全仏オープンの試合後会見への出席を拒否して話題を呼んでいる。同じような質問ばかり繰り返され、ときに悪意を感じるような会見の場に辟易としているようだ。彼女のTwitterの一部がこれだ。

We’re often sat there and asked questions that we’ve been asked multiple times before or asked questions that bring doubt into our minds and I am not going to subject myself to people who doubt me.

最後の部分は「私を信じない人たちを前に自分をさらし者にはしない」のようなニュアンスか。私は普段テニスを観ないので、彼女(や他の選手)が会見の場でどんな嫌な思いを経験してきたのか具体的には知らない。だがこの顛末で何となく思い出したのは、今や懐かしいトランプ元大統領である。在職中のトランプ氏は、記者会見で意に沿わない質問が出るたびヘソを曲げて相手をフェイクニュース呼ばわりし、Twitterで一方的に発信することを好んだ。二人を同列に並べるつもりはないが、トランプ元大統領が大阪さんのツイートを読んだら、きっと我が意を得たりと膝を叩くのではないか。

オリンピックはそれを観る人が支えている、という話を少し前に書いた。プロテニス界も同じだと思う。大会の賞金や高額のスポンサー料は、そこに巨大市場があるからこそ存在する。もちろん、試合そのものはストイックな真剣勝負の場だから、純粋にスポ根だけをグランドスラムに求める硬派なテニスマニアも少なくないだろう。しかし、コートの外を含めた選手の人間像に触れたいファンは、たぶんもっと多い。試合後の会見は、そんな「市場」と選手をつなぐインターフェースである。たしかに、負けた選手に追い討ちをかけるような質問も出るかもしれない。しかし選手の心情を理解しないメディアに向き合うのも、有り体に言えばプロ選手の「仕事のうち」ではないか。

ここまで書いたところで、大阪選手が全仏オープンの途中辞退を決めたというニュースが入ってきた。長文のツイートで、彼女自身が患った鬱の苦しさも吐露している。自分の気持ちや意見を率直に表明するのは彼女の美点だと思うし、繊細で傷つきやすいことを責めようとは思わない。しかし大阪選手自身、彼女の社会的影響力の大きさをまだ測りかねているのだろうかとも思う。大阪選手の年収が女性アスリートで世界トップに躍り出たというニュースが駆け巡ったばかりだ。世界のあらゆるトップ・アスリートと同じように、彼女の存在もまた巨大マーケットの歯車とともに回り支えられている事実は、否定しようがない。

大阪選手が呟いたちょっと意味深なツイートに惹かれる。

anger is a lack of understanding. change makes people uncomfortable.

怒りとは理解の不足である。人は変化に馴染みたがらない。シンプルな金言だと思うが、それなら大阪さん自身が表明した「怒り」も、彼女の理解不足に端を発しているとも言える。聡明な人だから、一人のアスリートとしての矜持と彼女が依存する市場原理のあいだで軋む矛盾のはざまに、じきに落とし所を見出すことを期待している。

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五輪は誰のために [スポーツ]

rikujou_track_side.png東京オリンピック参加選手に、ファイザーがワクチンを無償提供する話が出た。これについてある日本代表選手が、他の人への危険を考えるなら打つが、正直不安はある、と率直な胸中を明かした。彼女の言う通り、ワクチンは本人の安全だけでなく他者への感染を防ぐのが目的だ。しかしコンディションの調整に細心の注意を払うアスリートの何割が、大事な試合の前に未知のワクチンを進んで打つだろうか。不測の副反応で体調が劣化するリスクと日本社会に感染を広げるリスクを天秤にかけたとき、どちらを優先するだろうか。先の選手は、命に大小はないのに選手が特別扱いされているように見られるのが残念、とも語った。だがワクチン問題はむしろアスリート自身にとっての踏み絵であり、オリンピック出場の特権と一社会人としての責任のはざまでどうバランスを取るかを問われているのではないか。

オリンピックの主役は誰だろう?もちろん、各国を代表する選手たちである。ではオリンピックは誰のためにあるのか?もちろん、アスリートだけのためではない。オリンピックは、競技を観戦する人々のためにある。コンサートやライブはそれを聴きに来る聴衆のために存在し、歌舞伎や演劇の舞台はそれを見に来る観客のためにある。もちろんアーティストにとってステージに立つことは、自分と向き合うパーソナルな真剣勝負の場でもあると思う。だがそれを観にやって来るファンなしには、イベント自体が成立しない。

それと同じことで、アスリートが頂点を目指して切磋琢磨する姿は美しいが、選手個人の自己実現や記録達成のために一兆円規模の運営費を要するメガイベントが開催されるわけがない。選手にとってオリンピックは山頂に聳え立つ神殿かも知れないが、その他大勢にとっては4年に一度のエンタテイメントだ。IOC最大のスポンサーがNBC(米国のテレビ局)である事実が象徴するように、そこに繰り広げられるドラマの「感動」を消費する大観衆が、オリンピックの存在を支えているのである。

世界がコロナ禍に苦しむ中でスポーツをやっていても良いのか、と自問する選手がいるという。個人的には、アスリートはスポーツをやるのが使命なのだから正々堂々と打ち込めばいい、と思う。池江選手に出場辞退や開催反対を促す声が届いているそうだが、若い現役選手にそんな重荷を背負わせるべきではない。一方、ハンドボール日本代表の土井レミイ杏利選手がテレビのインタビューで、無観客のオリンピックならむしろ開催しない方がいいと語っていた。一選手としてはオリンピック開催を望んでいるにちがいないが、観客やファンの応援なくして競技は成立しないという想いを強くお持ちのようである。オリンピックは誰のためにあるのか、深く考え続けてきた人なのだと思う。

さて大会主催側はというと、土壇場で完全無観客というカードを切ってでも開催にこぎつけたい思惑のようだ。彼らは誰のためのオリンピックをやろうとしているのか。IOCか?NBCか?無観客で大義が立つならそれでも良いが、感染予防の観点からは、国内の観客が集まることより、水際対策をすり抜け選手らが持ち込むウイルスのほうが厄介だ。

組織委員会は、今月予定されていたIOC会長の訪日を「緊急事態宣言が延長される中で来日していただくのは非常に難しい」という理由で断念したばかりだ。しかし現在の状況でVIP一人の接待すらままならないのなら、たった2ヶ月半後の東京で何万人もの選手やスタッフの行動をどうやって制御するつもりか?30を超える競技が同時進行するスポーツ大会でバブルを実施した例は、世界のどこにもない。プレイブックなる感染対策ガイドラインの策定が進んでいるが、マニュアルが揃っても運用が回らなければ何の意味もない。

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100日前 [スポーツ]

taimatsu_olympic.png東京オリンピックまで、あと100日を切った。かたや、第4波とやらが連日ニュースを賑わせ、ワクチン接種はようやく始まったばかりだ。そんな中、二階自民党幹事長がオリンピック中止に含みを持たせた物言いをし、世間をちょっとざわつかせた。

聖火リレーが進んでいて、都市部ではそれなりに沿道が混み合っている。それについて聞かれた丸川五輪相が「私も正直(人出が)多かったなと・・・」と他人事のようなコメントをしていた。聖火リレーの安全対策は地方自治体の管轄だから国の知ったことではない、とでも言いたいのか。彼女の立場ならむしろ、屋外でマスク着用している限り多少密でも感染リスクはありません、と言い切ったほうがだいぶ良かった。この温度感のまま行くと、オリンピックが始まって何かトラブルが起こったとき、JOCと組織委員会と都と国が互いに責任をなすりつけ合うグダグダな気配が目に浮かぶ。

池江璃花子選手が代表入りしたことで、機運だだ下がりだった世論の潮目が変わった、とはしゃぐ人たちがいる。ちなみに直近(10日、11日)に行われた朝日の世論調査では、今夏のオリンピック開催に期待する人は依然3割に満たない。池江さんのことは心から尊敬しているが、彼女が頑張ったからといってウイルスが退散してくれるわけではない。なにしろ選手とスタッフだけで、数万人規模の人たちが世界中からやって来る。当然PCR検査は徹底するだろうが、水際対策をすり抜けるケースは一定の確率で必ず起こる。テニスの全豪オープンの時は入国時の機内で感染者が見つかり、錦織選手など同じチャーター便に乗っていた全員が2週間の自己隔離を余儀なくされた。試合を控えた選手にとって明らかな不利益だが、選手の不満や批判を浴びてでも国民や大会参加者を守りきる、という決意が主催国としての責任感なのだと思う。

バブルと呼ばれる完全隔離体制でスポーツの大会を行う試みは世界で行われていて、ノウハウも蓄積されつつあるかと想像する。しかしオリンピックは個別競技の大会と比べ、人数が桁違いに多い。選手村の規模は、ソーシャルディスタンシングを想定して作られていないから、選手村クラスターの発生リスクはもちろんゼロではない。感染対策のルールを守らない参加者がいた場合、出場禁止や強制送還のような毅然とした対応ができるのか。ただでさえ脆弱な日本のコロナ医療体制の中で、オリンピック対応に医療スタッフを動員する余裕が本当にあるのか。最悪の場合、オリンピックを途中で中断する覚悟はあるのか。そういった想定問題集を隅々まできっちり解いた上でなら、今夏の開催は不可能ではない。しかし聖火リレーの状況一つ見ても、主催側にそれだけの準備と管理能力が本当にあるのか、今ひとつ心許ない。

二階さんは言わなくてもいいことを口走る癖があるが、今回のオリンピック発言に限って言えば的を得ている。中止は簡単な決断ではないが、未だどう転ぶかわからないコロナ禍にあって、可能性の話としてはあらゆる選択肢を当然想定しておくべきである。組織委員会やIOCは絶対やりますの一点張りで、立場上そうとしか言えないのかも知れないが、腫れ物に触るようにオリンピックを語るのはいい加減考え直したほうがいいのではないか。メディアも含めオリンピックの話題になるとすぐに情緒論や精神論にハマるきらいがあるが、コロナそのものよりその思考停止ぶりが不安で仕方がない。

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番外編:オリンピックはどうなる [スポーツ]

olympics_tokyo_2021_line.png今後1~2年は新型コロナの第二波や第三波に備えよ、と至るところで聞かされる。とすると、来年に延期された東京オリンピックは本当に開催できるのか?先日、IOCバッハ会長が東京オリンピックは2021年が最後のチャンス(来年できなければ中止)と語った報道(BBC)があり、会長はこれを安倍首相の明確な意向であるという言い方をした。つまり首相サイドもオリンピック中止の可能性を現実的に見据えているということになるが、日本の報道ではあまり深刻に受け止められていないようである。国内メディアは東京オリンピックについて悲観的な見通しを直視したがらない気配があるが、それで良いのか?検事長の麻雀癖の話ばかりしている場合ではないのではないか。

オリンピックにはもちろん大勢の人々が観戦にやってくる。スタジアムの観戦席間を広げて3密回避はできても、会場にいない時間の行動を制限することはできない。日本の酷暑に慣れていない外国人訪問者が常時マスクをしてくれるとは思えないし(そもそも熱中症で倒れる危険がある)、待ちに待ったハレの日の旅先で「おしゃべりは控えめに食事に集中」するはずもない。完全無観客でない限り、オリンピックの市中感染リスクは避け難い。

しかし首相や都知事や組織委員会にとっては、早期にオリンピック中止を宣言する政治的リスクは高い。相当な反発と失望を買う覚悟がいるし、来年になって第2波が来なければ「開催できたじゃないか」と叩かれる。だから主催者としては、決定を先延ばしにして最後まで様子を見るほうが、ダメージが少ない。ギリギリまで世界の感染状況が改善しなければ、中止決定も世論が受け入れる。むしろ最悪のシナリオは、感染が微妙な小康状態にあるなか見切り発車でオリンピックを決行した場合だ。万が一東京でクラスターが次々と発生したら、感染者が各国にウイルスを持ち帰りパンデミックが再燃する可能性だってある。そうなると医療崩壊の悪夢がぶり返すばかりか、開催判断を誤った日本は世界から非難を浴びる事態になりかねない。

延期によって日本は数千億円規模の追加負担が発生するそうで、是が非でもオリンピックを敢行し経済効果で元を取りたいのが政府の本音ではないかと推測する。だが今後一年以内でウイルスが消滅することもワクチンが世界に普及することも想定しにくい状況下で、東京オリンピックが「人類が感染症に打ち勝った証」となるか、日本が感染症を甘く見た悲劇となるか。政治的リスクと感染再拡大リスクのはざまで、綱渡りの判断が強いられる。

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チーム競技と個人競技 [スポーツ]

sports_ball_rugby.pngラグビーW杯のおかげで、にわかラグビーファンが大増殖したそうである。スポーツ全般と縁の薄い私ですら、ついテレビの試合の見入ってしまったくらいだ。それにしてもラグビーはルールを飲み込むのが難しい。とくに反則のバラエティがあまりに豊富で、いちいち何故笛を鳴らされたのか(説明されても)理解が追いつかない。ラインアウトはなぜスローインするだけじゃダメで組体操みたいなフォーメーションになるのか、ことあるごとに審判を囲んで両チームの井戸端会議が始まるのはいったい何を話しているのか、素人目には謎めいたスポーツだ。何はともあれ、予選リーグを全勝突破した日本代表チームは本当に素晴らしかった。

ラグビー熱気の陰で、フィギュアスケートのシーズンがひっそり幕を開けた。昨年は足の怪我で涙を飲んだ羽生結弦がグランプリ・シリーズ初戦でみごとな復活を遂げたり、女子も4回転ジャンプを跳べないと勝ち抜けない新時代になってきたり、こちらも話題には事欠かない。それにしても、ラグビーとフィギュアスケートは同じスポーツと言っても実に対極的だ。ラグビー選手が氷上でステップ・シークエンスを披露したり、フィギュア選手が総結集してスクラム組んだりなど、全く想像できない。選手の体格が違うのでビジュアルの違和感が強いせいでもあるが、それ以上にチーム戦と個人戦という競技の基本設計の違いが大きい。

種目数で言えば個人競技のスポーツのほうが多数派だろうか。テニスや卓球やバドミントンはチームを組んでもたかだか2対2で基本は個人戦だし、リレーを除くと陸上競技のほとんどは個人どうしの戦いだ。フィギュアやゴルフのように対戦というより黙々と自身のスコアと向き合うスポーツもある。体操とかスキージャンプは団体戦があるが、点数が合算されるだけで実質的には個人技の種目だ。個人競技の場合、種目が違えば自ずとファン層も異なる。テニスとゴルフに等しい熱意でハマっている人は少ないのではないか。大坂なおみと渋野日向子を二人とも追っかけるファンがどれだけいるだろうか?(案外いそうだが)

チーム戦のスポーツは、ファンを獲得するビジネスモデルが少し違う。野球にしろサッカーにしろ、競技そのものが好きだという人ももちろん多いが、それと別に地元チームを応援する郷土愛に溢れた鉄板のファン層がいる。グランパスもドラゴンズも喜んで観戦に行く名古屋のファンにとって、それがサッカーか野球かという競技の区別にあまり意味はない。何よりもスタジアム全体が一体となって盛り上がるカタルシスを求めて観客がやってくる。そのせいか、試合で特定の選手だけが突出することは余り好まれず、チームワークの美が称賛される全体主義的な雰囲気が醸成されやすい。ヒーローインタビューだって、(本音では今日は俺が頑張ったと思っているかもしれないが)たいてい「チームが勝利できて最高です」とか言うではないか。W杯でにわかラグビーファンが大量発生したのも、ラグビーの面白さに目覚めたというより、国民一丸となって酔いしれる新たな媒体を発見したということのように思われる。

選手にとっては、チーム競技だからときれいに美学を割り切れるとは限らない。チーム競技に身を置きながら、強い個性でひときわ異彩を放っていたのがイチローである。この人ほど本来個人競技向きのタイプで、所属チームのカラーに染まらない野球選手も珍しい。徹底して求道的で、上機嫌で饒舌なのにいつも斜め上の回答でインタビュワーを煙に巻く面倒くさそうな男、という印象が長年のイチロー像だった。だから引退会見で「渡米して外国人になって、人の痛みを想像できるようになった」と語るのを聞いたときは、思いがけずちょっと感動した。海外生活経験のある人なら、たぶんその言葉の重さが実感できるはずだ。自分が社会に受け入れられているという実感の尊さ、そこにいてもいいと無条件に思えることのありがたさは、その社会から出たときにしみじみと思い知る。チーム競技の中で個人技を極める軋轢に独り向き合ってきた(に違いない)彼にとって、引退会見で見せた幸せそうな表情の裏には、実生活と球場それぞれで逆境を乗り越えてきた二重の感慨があったのかもしれない。

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