SSブログ

Ghosn is gone. [政治・経済]

kaizoku_takara.png仮にあなたが未開の奥地に招かれ、現地の経済発展に一肌脱ぐことになったとしよう。その謝礼として、部族の長老は部屋いっぱいの金銀財宝を指し示し、あなたが働いてくれた分だけ持ち帰って欲しいと告げられる。財宝の山を持ち帰ったあなたは故郷に豪邸を建て豊かな暮らしを送っていた。ところがある日奥地に戻ったあなたは突然現地の戦士たちに取り囲まれ、部族の財産を着服した裏切り者として捕らえられる。あなたは身の潔白を訴えるが、監禁がいつ解けるか皆目分からない。そのまま故郷の家族と言葉を交わす願いも叶わぬまま火あぶりの刑を言い渡されるのではと不安が募ったあなたは、秘密裏に脱出する決心をする。そして年の瀬が迫るある日、祭りの太鼓を運ぶツヅラに身を潜め、命からがら逃げ出すことに成功する。

というのが、カルロス・ゴーン氏の今の心象風景に近いのではないかと想像する。ゴーン氏の会見を三段論法的に要約すれば、(1)背任容疑に関して私は潔白である(2)しかし日本の検察は私を疑っている(3)よって日本の司法は間違っている(政府ぐるみの陰謀である)、ということのようである。正義と不正義のあいだに線を引くのは彼自身の特権であり、不正義の側に置かれたものは法であろうと全否定する、というスタンスだ。法治国家への挑戦と言われても仕方ないが、彼にとって日本はもはや法治国家ではなく、ジャングルの無法地帯から生還した達成感でいっぱいということかも知れない。今思えば保釈のときの変装ぶりはびっくりするほど作り込んでいたし、今回もサスペンスまがいの脱出劇に半端ない意気込みが感じられるので、007とかミッション・インポッシブルとか結構好きで憧れていたんじゃないか。実際、ことの顛末を映画に仕立てる計画も企んでいるらしい。演出を盛ってドンパチやらかす一台エンタテインメントに仕上げてくるかも知れない。

年末にニュースの話題をさらったのがゴーン事件だったとすれば、年明けに世界を驚かせたのは米軍によるイラン軍ソレイマニ司令官の殺害事件だ。そういえば自分の一存で正義を決めたがる男がホワイトハウスにもいた、と思い出した人も多かったことだろう。ゴーン事件が司法制度への挑戦だったとすれば、イラン司令官暗殺は世界秩序への挑戦と言ってもいい。さらなる米国人の犠牲を未然に防いだと言っているそうだが昔ながらの言い訳で、同じ理屈で広島と長崎の原爆投下を擁護したがるアメリカ人は今でも少なくないと聞く(もちろんそうでない人もいる)。アメリカは今年秋に大統領選を控えているが、米国第一だろうと二位じゃだめなんですかだろうとこの際何でも良いので、せめて手前勝手な理屈で他国の人間を抹殺したりしない人に決めて欲しい。

ある人にとっての正義は、別の人の目には秩序の破壊と映る。正義がそもそも主観的で不安定なものだからこそ、社会にはさまざまな決まり事がある。どんな決まり事も完全ではあり得ず、あちこちにほころびがあるかもしれないが、だからといってその存在理由を根本から無視すれば社会は成り立たない。奥地には奥地なりの人々の営みがあり、その知恵から生まれた社会の成り立ちがあり、それが気に入らなかったとしてもよそ者が自分の価値観で一方的に断罪して良いわけではない。十分な資金と逃亡先があれば一国の法制度は無力であることをゴーン事件が浮き彫りにし、ソレイマニ殺害は米軍最高司令官たるアメリカ大統領の胸一つで世界秩序の危うい均衡を蹴り崩しかねないリスクをあぶり出した。なんとなく気がかりな思いが拭えない、2020年の幕開けである。

共通テーマ:日記・雑感