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ワニの話 [映画・漫画]

wani_close.pngオリンピックが延期になり、首都圏で外出自粛が要請され、と前代未聞のニュースが飛び交った一週間だったが、それに先立ち静かに国内の話題をさらっていたワニがいる。きくちゆうき氏がツイッターで描き続けた4コマ漫画『100日後に死ぬワニ』の主人公だ。ゲームとラーメンが好きで恋に奥手で、とくに取り柄はないが根が優しく、もし友達ならきっと普通にいいヤツ。そんなフリーターのワニの眼を通して、思いがけず良いことがあれば少しイヤなこともあったり、でも大抵はとくに何も起こらない、ありふれた日常が淡々と描かれる。ただ一つ普通でないのは、毎日4コマの最後に添えられる「死ぬまであとx日」という不穏なカウントダウンで、3月20日ついに運命の日を迎えた。私はシリーズ完結後に話題を聞きつけて100回分をまとめて読み返したのだが(10分もかからない)、時折ドキッとするエピソードが仕込んであるものの99日目まで死を匂わせる影もなく、むしろ春の訪れに気分が盛り上がっていく気配すらあった。だからいっそう、(毎日予告されていたにもかかわらず)いきなり突き放されたような最終話の幕切れに戸惑う。

この読後感と似た感触の映画を見たことがある。イギリスを舞台にした風変わりで物静かな作品『Still Life』で、タイトルのとおり何ら劇的なできごとは起こらない物語だ(邦題は『おみおくりの作法』)。主人公ジョンは、孤独死の遺体を引き取り公的に埋葬する仕事をしている。判を押したように職場と住まいを往復する独り者のジョンにとって、遺品の山に丹念に目を通し一人静かに故人の生前に思いを馳せる毎日が生活のほぼすべてだ。誰にも看取られず世を去った彼/彼女はかつて何に夢中になり、どんな人を愛し、どんな神を信じ、そして何を心の拠り所に生きていたのか。ジョンはできる限り故人に相応しい葬儀をあつらえ、そのただ1人の立会人として丁重に見送る。しかし効率を度外視した彼の仕事ぶりは職場で評価されず、ジョンはある日人員整理で居場所を奪われる。

最後の仕事となった死者の生前を調査する旅に出たジョンは、限られた手掛かりを追っていくうち音信不通だった故人の娘に行き当たる。彼女と会話を重ねるうち、長いあいだ一条のさざ波すら立たなかったジョンの心に、ふと暖かいそよ風が吹き込む。一台も車の来ない道で必ず左右を確認していた彼の生真面目な生活が、少しずつ華やぎを増し活気づいていく。そしてなんの前触れもなく、悲劇が起こる。物語の結末は皮肉めいて残酷だが、心を砕いて孤独な死者を弔い続けたジョンを暖かく見送るエンドロールが、そっと心に染みる。

テレビやネットでは新型肺炎による死者数が連日淡々と報道される。積み上がる数字の裏には、その数だけ突然断ち切られた喜怒哀楽の日々が溢れていたはずだ。『100日後に死ぬワニ』で描かれる世界に広まりゆくウィルスの影はないが、死が統計に呑み込まれていきがちな今だからこそ、不慮の死で絶たれた一人(一匹か?)の平凡な100日を丹念に追ったストーリーが多くの人の心に響いたのだろうか。完結直後に各種コラボ企画が発表されたせいで結局金儲けかと炎上したそうだが、個人的には別に金儲けでもいいじゃないかと思うものの、ワニの一喜一憂を他人事ながら見守った100日間がたちまち市場経済に呑まれ消えていくのが寂しかった人もいたかと想像する。身寄りのない赤の他人をジョンが丁寧に弔ったように、フィクションのキャラクターすら簡単に心から拭い去れないように人間は本来できているのである。

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