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当たり前だったはずのこと [文学]

カフカやカミュの小説は、不条理の文学と評されることがある。ただ、理不尽でわけのわからないものを不条理と一言で片付けてしまうと、何を理解したことにもならない。不条理を突き詰めることは、そもそも「条理」とは何なのか、を見つめ直すことでもある。

medical_pest_ishi.png時節柄、カミュの『ペスト』が急に売れ出しているらしい。カミュの作品は『異邦人』しか手を出したことがなかったが、私も流行りに乗じて読んでみた。新潮文庫の訳書は、フランス語の文章構造に寄せる翻訳家のリスペクトが止まらないのか、格調高すぎる日本語がいささか読みづらい。だが、後半から終盤になると物語の吸引力に呑み込まれ、それも気にならなくなる。舞台は1940年代、アルジェリアの港町オラン。同名の街は実在するそうだが、小説で語られるペストの流行は作者の創作である。しかし、ルポルタージュ風の淡々とした筆致が醸すリアリティが生々しい。

医師リウーはいち早くペストの兆候を見抜くが、当初は市民も行政もことの深刻さを認めようとしない。平穏な毎日に慣れすぎたばかりに、目の前の異常事態を正確に把握する想像力が機能せず、初動が遅れて事態を悪化させる(どこか記憶に新しい)。しかし死者数がうなぎ上りに増え、ついに街全体が隔離され外界との接触が封鎖される。オランの人々は、会いたい人に会えない狂おしさに苛まれ、いつ我が身にやってくるかわからないペストの恐怖に震える。当たり前だったはずの何でもない生活が、何の前触れもなく手の届かないところに消えてしまう。

奪われた「当たり前」は、日々の暮らしだけではない。ペストは人々の思想や価値観を試し揺さぶる。疫病は信心を失った民衆に神が突き付けた挑戦だ、と市民を断罪する街の神父がいる。しかし罪なき子供の命まで無慈悲に奪うペストの魔の手を目の当たりにしてから、彼は自身の信仰に確信を失い心理的に追い詰められていく。

個人に死の制裁を下す社会を受け入れることができず、検事の父と袂を分かった男がいる。無差別に死刑宣告を下すペストの猛威に社会の偽善を重ねた彼は、危険を承知で患者の看護を志願し、リウーと行動を共にする。

人知れず警察の追跡に怯え生きてきた、後ろ暗い過去を持つ男がいる。ペストに追われる恐怖に誰もが慄く中、立場が反転したことに気付いた彼は溌剌と生き返る。しかし街がついにペストから解放されたとき、市民が喜びに沸く傍らで独り精神の均衡を失う。

物語では医療従事者の献身的な努力が描かれるが、『ペスト』の語り部は彼らをことさら英雄視はしない。医師リウーは平時から人の死と向き合い、救える命と救えなかった命の狭間で自らの限界を見つめてきた男である。リウーが神の条理を信じず自分なりの死生観を築いたとすれば、検事たる父の権威を受け入れられなかった男は、社会の条理を受け入れず自身の正義を貫いた人物である。隔離された街で蔓延する疫病に対峙する非日常の中で、二人はやがて強い絆で結ばれていく。

条理と不条理を隔てる曖昧な境界を平時から直視し考え続けてきた人間だけが、疫病の猛威に敢然と立ち向かうことができる。『ペスト』は不条理の文学というより、条理(当たり前だったはずのこと)の脆さについての物語だ。ペストの終息は不条理の終焉ではなく、顕在化していた条理のほころびが再び人々の心の深層に潜り込んだに過ぎない。語り部が幕切れでペストの再来を匂わせているのは、そのせいである。

新型コロナのパンデミックで、私たちは当たり前だったはずの生活を当たり前に送ることができなくなっている。でも、当たり前すぎて今まで考えもしなかったことについて、今だからこそ真剣に思いを巡らすことができる。それで目の前の問題が溶けて失くなるわけではないが、なかなか晴れない霧の彼方に、微かな光明くらいは浮かび上がってくるも知れない。

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