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飛び恥 [政治・経済]

hikouki_gumo.png「飛び恥」という言葉がある。『逃げ恥』の続編ではない。大量の二酸化炭素を排出する航空機に依存しがちな社会にあって、地球環境に対する意識の低さを揶揄する文脈で使われる。英語ではFlight Shameと言う。グラスゴーで気候変動COP26が開催され、各国の首脳たちがこぞって飛行機で駆けつけ温室効果ガスの排出削減を訴えた。その「矛盾」を批判する環境活動家が好むワードの一つが、飛び恥ということである。

ちなみに航空産業が世界で生み出す二酸化炭素排出量は、人為起源の排出量全体の中で約2%を占める(参考サイト)。仮に世界から航空産業を完全に駆逐しても、節約できる二酸化炭素排出量は数%ということだ。これを多いと見るか、少ないと見るか?運輸部門に限ると航空機の排出割合は12%程度で、自動車の排出量が過半数を占める。ジェット機一機はもちろん車一台より遥かに大量の二酸化炭素を排出するが、車やトラックは普及している台数が圧倒的に多いので総量も半端ない。

飛び恥論者は、鉄道を使えと言う。イギリス開催のCOP26に関して言えば、欧州諸国からの出席者は(警護の問題を別にすれば)ユーロスターで英国入りすればいい。しかしアジアやアメリカからは鉄道のオプションはない。グラスゴーのデモで今回も気を吐いていたグレタ・トゥーンベリさんは、数年前ニューヨークの気候変動サミットに出るためヨットで大西洋を横断し話題をさらった。残念ながら、一国の首脳には優雅にヨット旅を楽しむ時間の贅沢は許されないだろう。

それでも空の旅を否定するのであれば、COP会議を止めてしまうか完全オンラインにするほかない。事務方の事前調整で結論ありきの会議なら、オンラインでも充分だろう。でも、決定権を持つ立場の人がギリギリの駆け引きをする局面が少しでもあるならば、オンラインは何かと不都合だ。もちろん、問題はCOPのようなトップ会談に限らない。国際学会を巡りカーボン・オフセット関連の議論が交わされるのを、以前から耳にしていた。オンライン参加のオプションで良しとする人もいる反面、直接会って言葉を交わす機会の喪失を憂う人は多い。図らずも長いコロナ禍の期間を経て、会議オンライン化の功罪を身に染みて感じ入ることになった。

気候変動対策は、現実性と実効性に優れていなければ意味がない。航空産業に関しては、SAFや機体の燃費向上のように(トータルの削減目標に照らしどこまで有効かはさておき)技術的に現実的な方策がある。一方、COP26に飛行機でやって来る首脳たちを糾弾することに、現実性も実効性もあまり感じない。むしろ、10年前にウォール街で金融エリートを非難し盛り上がったデモ活動を思い起こす。具体的な問題を解決したいというより、根底には特権階級に対する市民の怒りがくすぶっている。怒りの根源は正当かもしれないが、理由あって飛行機で旅する誰かを飛び恥とディスることに正義があるとはあまり思わない。

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