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親ガチャ [社会]

gachagacha.png最近「親ガチャ」という言葉をよく耳にする。転がり出る商品の中身は運に任せるしかないガチャガチャと同じように、親を選べない子供の命運も運次第、という意味だそうだ。愛情と責任感に欠く(または愛情や責任感が過剰な)親に振り回された子供が、我が身の境遇に嘆息しながら「親ガチャで失敗した」などと言ったりするらしい。少しザラッとした語感のドライな言葉だ。

親に向かってそんな物言いを、と眉をひそめる人もいるに違いない。家庭環境に恵まれながら甘えで不満を呟くだけの人もいるだろう。他方で、育児放棄や虐待を生き抜いた人もいる。たいていの人は、その両極端の中間どこかを経験してきたのではと思う。

親も人間だから優しいときがあればやさぐれるときもあると、成長過程のどこかで(またはすっかり成長してから)理解する時が来る。父や母を心から尊敬できるなら、それはとても幸福なことだ。そうでなくとも、人格面では完璧から程遠い親を持ちながら、育ててくれたことには純粋に感謝している人も多いだろう。アンビバレントな想いを密かに抱えつつ、深刻ぶった話をするのは気が進まない。そんなとき、感情的な重さを迂回しちょっと突き放して語る便利なワードが「親ガチャ」ということかもしれない。

選ぶことができないのは、親だけではない。生まれる国も時代も階層も、当人に決定権はない。先日、小室圭さんと眞子さんの結婚会見があった。皇室に生まれるという偶然は、何という崇高で残酷な「ガチャ」であることか。生まれながらに運命づけられた、特権と束縛。王宮という籠の中で育った小鳥には、悪意ある世間の風当たりにひとこと声を上げる自由もない。それがどれほど心の重荷だっただろうかと、驚くほど率直な心のうちを会見で吐露した彼女を見て思った。

人生は一度きりしかない。わずかに残った小遣いをつぎ込んでガチャガチャのレバーを回す子供と同じように、出てきたプラスチックケースの中身が何であれ、それを受け入れるほか道はない。けれど、たとえ期待外れのおもちゃだったとしても、どこかの誰かが時間を費やして企画し製造した商品であることに変わりはない。子供部屋に持ち帰って毎日何となく手に取るうち、いつしか愛着が湧いてこないとも限らない。人生最大のガチャは誕生の瞬間にほとんど終わっているかも知れないが、取り損ねたアタリを空想で追い続けるよりも、手にした小さな宝物を慈しんで生きるほうがいい。

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オンタイム・オンライン [社会]

cafe_coffee_cup.png国際会議ではたいてい開始時間の15分前くらいには参加者が集まって来ていて、コーヒーを片手にそこかしこで立ち話に花が咲く。雑談とは言え、重要な情報交換が行われることも珍しくない。または全然重要ではないが興味深い話(つまりゴシップ)が密かに拡散する。

コロナ禍であらゆる会議がオンライン化され、そんな会議前の貴重な情報収集の機会が失われてしまった。もちろん、本当に必要に迫られれば個人的にメールを出せばよいのだが、話のついでに「あ、そう言えば」と飛び出す何気ない話題が、後から考えるとじつは大事だったということもある。ZoomやTeamsやWebExでは立ち話が出来ない。スパチャ(SpatialChat)のように立食パーティー仕様の会話ができるツールもいくつか存在するが、コーヒーブレイクのたびにわざわざ別の有料ツールに切り替えるのは敷居が高い。

気心知れた仲間同士で行う少人数の会議なら、開始前にZoom画面で雑談に盛り上がることもある。しかしある程度規模の大きいミーティングでそれをやると、他愛ない与太話をマイク越しに会場の隅々まで響かせるに等しい。これは気まずいので、オンライン会議の開始前はたいていとても静かだ。対面会議のように15分前にやって来ても手持ち無沙汰なので、ほとんどの人は会議が始まる直前に集まる。どのくらい「直前」が相応しいかについて、暗黙の合意が形成されつつあるものの、その落とし所に意外な文化的差異がある気がしている。

日本人は真面目なので、5分くらい前からサインインして辛抱強く開始を待つ人も多い。一方私の経験の範囲では、アメリカ人が主体の会議に参加すると、なぜか本当に直前までほとんど誰も入ってこない。5分も前につなごうものなら、ほぼ間違いなく主催者ほか数人くらいしかいない(そもそも会議が開始されていないこともある)。時間を間違えたかと不安になる開始1分前か30秒前、申し合わせたかのように参加者がどっと押し寄せる。突然目の前で花の大輪が開くように、無数の名前がスクリーン一面を次々と埋め尽くす。

よほどぎりぎりまで別件がある人を除けば、PCの前で(たぶんメール処理でもしつつ)わざわざタイミングを図っているとしか思えない。どうせ待つなら先にログインし放置していてもいいはずだが、なぜ入ってこないのか?早めに入り過ぎて見知らぬ人と二人きりになったとき、当たり障りのない会話を交わす手間が億劫なのか?居合わせた他人となるべく目を合わせない日本と違い、偶然乗り合わせた誰かと見境なく交流する米国文化のオープンさが、逆に心理的な足枷になっているのか?

そんなことをいつかアメリカ人に訊いてみたい気がする。が、わざわざメールするほどの話でもないから、会議前のコーヒーブレイクで話題にするくらいが丁度いい。

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ショパン・コンクール [音楽]

music_piano.pngショパン・コンクールで、反田恭平さんが2位の快挙を果たした。反田さんは4位入賞の小林愛実さんと幼馴染で、同じピアノ教室に通っていたこともあるというから、今頃この教室の門を叩く人が殺到しているかも知れない。反田さんの名前はもともと聞いたことがあった。YouTubeでAIが引っ張ってくるオススメに、彼のチャンネルがよく混じっていたのである。自己プロデュースにも長けた人だなあと思っていたが、その気負いすぎないおおらかさに若い世代ならではの新しい才能を感じる。

ショパン・コンクールといえば、求道的なピアニストたちが息詰まる戦いを繰り広げるところだと思っていた。弱冠18歳のマウリツィオ・ポリーニが優勝した1960年は、審査委員長だったアルトゥール・ルビンシュタインが「われわれ審査員の誰よりも彼の方がうまい」と激賞したという。優勝後コンサートツアーの依頼は引きも切らなかったはずだが、ショパン・コンクール直後から何年もの間、ポリーニは本格的な演奏活動を控えピアノ鍛錬の日々に没頭する。最高峰の栄誉を手にしながら自身の技術と音楽に満足できなかったのか、巨大な音楽マーケットに飲み込まれることを恐れた防衛手段だったのか、いずれにせよ山奥で修行を積む修道僧のようだ。

ショパン・コンクールの歴史で有名な話と言えば、何と言っても「ポゴレリッチ事件」だ。1980年の予選選考会で、当時22歳のイーヴォ・ポゴレリチの評価をめぐり、審査委員の意見が最高点と最低点の真っ二つに割れた。とてつもなく個性的な解釈に貫かれた、誰も聴いたことのないショパン。結果としてポゴレリッチはファイナル進出を逃し、その決定に抗議したマルタ・アルゲリッチは審査員を辞めてしまった。ショパン・コンクールで入賞「しなかった」ことで名声を手にしたポゴレリッチは、60代になった今も孤高の個性派ピアニストとしてファンを魅了し続けている。

ちなみにポゴレリッチ事件の年にショパン・コンクールを征したダン・タイ・ソンもまた、正統派ピアニストとして今も活躍している。聴衆にとっては、オリンピックのように色の違うメダルで演奏家を差別化するより、タイプの違う才能が次々と発掘され、多彩な解釈の魅力に触れる機会が増すならばそれに勝る幸福はない。誰かに他の誰かより高い点を付けるコンクールの宿命をゲリラ的に否定した「ポゴレリッチ事件」のおかげで、世界はショパンのさまざまな横顔を知る機会を得た。

反田さんは長髪を後ろで束ねるクラシックピアニストらしからぬ風貌(帰国前の小室圭さんを少し思い起こす)だが、現地の人に「サムライ」と記憶してもらうための確信犯だそうだ。やはり自己プロデュースの上手な人だと感心したが、日本人が異文化の本場で認められるには人知れぬ苦労が不可欠ということかも知れない。若き日のポリーニやポゴレリッチほどストイックに尖っていなくとも、彼もまた類稀な「求道者」なのだと思う。

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ネアカな科学者 [科学・技術]

job_kagakusya.png小松左京の『日本沈没』を今日的に再構成したドラマが始まっている。硬派な社会派ドラマを指向した制作側の意気込みがひしひしと伝わる力作だが、個人的には「科学者」の描き方が見事なステレオタイプにハマっているところが面白い。日本のドラマや映画に登場する科学者には、いくつか定形がある。ひとつは学界の頂点に君臨する有名大学の教授。そして、その権力者に反旗を翻し学界から去る(または排除される)異能のサイエンティスト。『日本沈没』では、前者に國村隼さん、後者に香川照之さんと濃いめの性格俳優を対峙させ、二人の確執が一触即発の火花を散らしている。同じようなドラマが大学病院で展開されると『白い巨塔』になり、それが刑事モノだと教授が教え子から怨恨を買って殺される。科学者の世界とは厳格な階級社会に支配された異常者の世界だと世間には思われているんだろうか。

研究コミュニティーの雰囲気は専門分野が違えば千差万別で、ひとくくりには出来ない。分野によって師弟関係や講座制の縛りが強い噂は聞くが、私は幸い上下関係とも権謀術数とも無縁の世界に暮らしている(貶められても気づいていないだけかも知れないが)。少なくとも『日本沈没』の田所博士のように始終テンパっているマッド・サイエンティスト風の人は、私の周囲では見かけない。香川照之さんは『半沢直樹』の時すら役作りに緩急があった気がするが、今回は端からテンション上がりっぱなしで最後まで体力がもつのか、余計なお世話ながら少し心配している。

時として、学者は俗事と関わりのない孤高の変わり者として描かれる。『男はつらいよ』の諏訪博(寅さんの義弟)の父は元大学教授で、映画第一作で息子の博から拒絶される偏屈老人として登場する。学問だけが彼の全てで、権力にも出世にも興味はなさそうだ。『男はつらいよ』シリーズではあと2回ほど登場機会があり、寅さんとはあらゆる意味で対極のキャラクターなのだが、この二人は何故か意気投合する。偏屈な学者という点では、『ガリレオ』の湯川学もこの系列に連なる。ただ福山雅治さんはルックスの水準が高すぎて、同業者としてのリアリティをあまり感じない。

これらのステレオタイプに共通することは、学者は何となく「ネクラな」人たちとして描かれがちなことだ。確かに人によっては研究バカで世事に疎いかも知れないし、理系オタクで人付き合いは無粋かも知れない。でも、研究者は基本的に好きなことを職業に選んだ人種であって、好奇心いっぱいの子供がそのまま大人になったような人も少なくない。ノーベル賞の真鍋淑郎さんだって、齢90にして何だかとても楽しそうではないか。日本沈没はテーマが重いので仕方ないとして、次に科学者が登場するドラマを制作する人たちは、もう少し研究者の天真爛漫な日常を描いてくれないかなと思う。

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選択的夫婦別姓の話 [社会]

wedding_fufu_bessei_couple.png選択的夫婦別姓(法律用語では別姓は別氏と言うらしいが)を容認すべきか、先日の自民党総裁選や今月の衆院選で争点の一つに上がっている。夫婦別姓制はずっと以前から、話題に浮かんでは消えるサイクルを綿々と繰り返してきたが、進展はない。そのうち永遠の未解決イシューとして殿堂入りするかもしれない。

世界的には、夫婦別姓を法的に制限する国は少ないとされる。個人的に面白いと思うのは、スペイン語圏の姓の決め方だ。結婚しても姓は変わらず、子供は父と母から苗字(それぞれの父方の姓)を受け継ぐ。ガブリエル・ガルシア=マルケスという名があれば、ガブリエルが名、ガルシアが父方の姓でマルケスが母方の姓だ。彼が成長して結婚し子供が生まれると、「ガルシア」と妻の姓が共にその子の姓となる。まるで、父母から半分ずつ授かった遺伝子を次世代につないでいく生命の連鎖を家系樹で可視化しているようで、美しい。ミトコンドリアのDNAが母性遺伝するのと対照的に、姓は父性遺伝する。

必然的に、スペイン語圏では親の姓と子供の姓が半分しか一致しない。日本の夫婦別姓を巡る議論の中で、別姓は家族の「一体感」を損ねるという問題提起がある。夫婦どころか親子でも苗字が統一していないスペイン語圏の人々にもし意見を求めたら、たぶん質問の意図すら分かってくれないのではないか。そもそも親子や兄弟同士を苗字で呼び合うことはないから、父が佐藤で母が鈴木だったからと言って「一体感」に特段の不都合はない。もし著しく一体感を欠く家族がいるとしたら、それはおそらく家庭内の人間関係に何らかの課題が存在するのであって、苗字を統一してみたところで何も解決しない。

「一体感」論者の中には、夫婦別姓は個人主義を加速させ離婚率を上げる、親の離婚が子供を不幸にする、などと心配の種が尽きない人もいるようである。ちなみにステイホームが続き家族の「一体感」がかつてなく増した昨年は、離婚相談件数が急増したという話だ。一体感の欠如よりも、過剰な一体感へのプレッシャーの方が、深刻な家庭不和を誘発しやすい。不和が臨界に達しながらコロナで経済が冷え込んでいるせいで離婚を断念した場合(実際に相談件数と裏腹に離婚率は減った)家庭内のストレスは超臨界状態のまま推移することになる。離婚が解決になるかどうかは別として、親が離婚「しない」ことがむしろ子供を不幸にすることもある。現実の家族が直面する問題は複雑で重層的で、「一体感」論者が夢想するお伽話のようにはなかなかならない。

夫婦同姓を好意的に受け入れている人のほうが多数派だ、という主張を展開する人もいる。それならそれで、選択的夫婦別姓制と矛盾はしない。別姓も同姓も当事者の好きなように決めてよいわけだから、誰の権利も侵害していない。しかし世界が自分の意に沿わない方向に変質していくと感じる時、誰しも多かれ少なかれ落ち着かない気分になる。それを静かに受け入れる人もいれば、自分の世界観を守るために他人の権利を制限しようとする人もいる。問題が「伝統的価値観」と結びついている場合、往々にして社会は後者を容認する。自分の価値観にこだわるのは自由とは言え、周りの世界まで同じ色で染めようとしなくてもいいのに。

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記憶の中の街並み [その他]

私が大学院に入って間もない頃、家族が全員別々に暮らすことになった。私が住むことに決めたアパートは、1Kの小さい部屋ながら、小高い台地の縁にあって眺望が開けていた。空気の澄んだ冬の朝には、正面に美しい富士山を望んだ。三鷹市の西の外れで、駅へのアクセスは不便だったが、開放感が気に入った。

bg_pattern2_aozora.png窓の外に連綿と続く街並みの果てに、なぜか気になる小さな一角があった。緩やかで緑豊かな丘陵地の中ほど、高層住宅がいくつか肩を寄せ合い立ち並んでいる。その合間を縫って丘を下る道路の一部も見えた。整然と街路樹に彩られた情景が記憶に蘇るが、木々を見分けられる距離ではなかったはずだから単に思い込みかも知れない。実際に歩いたらどんな街並みだろうと、あれこれ想像していた。見た目にはかなり遠そうだったが、自転車ならたぶん一時間もかからない道のりだっただろう。でも結局、一度も行かなかった。

地図帳を広げて定規を当て、高層住宅街の所在地を探してみたことはある。しかし、おおよその方角はわかっても、正確な距離感がつかみにくい。ゴマ粒のような建造物の光景を、想像だけを頼りに二次元面に投影する作業は、思いのほか難しい。今ならスマホの地図アプリを頼りに、当てずっぽで出かけてみたかも知れない。しかし25年前はスマホなど影も形もなかったし、Googleすらまだ存在していなかった。そもそもなぜその街角が気になっていたのか、上手く説明できない。ありふれたマンション群以外に、目を引くランドマークがあるわけでもない。ローカル線に乗って何もない無人駅でふと降りてみたくなるような、気まぐれの衝動だったのだと思う。

夕暮れ時には高層住宅に無数の灯りが煌めいて、その温もりに胸がかすかにざわついた。ずっと昔は自分もそんな灯りの一つのなかで暮らしていたのだろうかと思いつつ、記憶は既に風化を始めていた。薄れる記憶を無理につなぎとめていたいとは思わなかった。むしろ、近づいてそこに何もないことを確かめるくらいなら、蜃気楼は遠くから眺めている方がいい。一度もあの街を訪ねなかったのは、心のどこかでそう思っていたからかも知れない。

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第5波は結局何だったのか [科学・技術]

感染者数・重症者数の国内最悪記録を更新した第5波が、すっかり落ち着いた。新規感染者数が減少に転じた8月後半ごろは、ピークアウトしたのは事の重大さにビビった人々が行動変容したせいか、と(データ上は根拠のない)俗説が囁かれていた。9月になって学期が始まればまた増える、とか各種悲観論が世を席巻していたが、9月が終わっても結局リバウンドは来なかった。晴れて緊急事態宣言が解除されたのは良いが、感染が落ち着いた理由がよく分からない以上、いつ再発するかも予測できない。そんな不確かな将来に不安を覚える人たちは、第6波とかインフルエンザ同時流行とか、懸念材料を語り続けている方が却って安心するようである。

ウイルスの自壊ということを言う人がいる。エラー・カタストロフという数学理論が元にあって、変異による複製の失敗率が自然淘汰の遺伝的優位性を上回ってしまう場合に種が途絶えるというモデルのようである。ただこの理屈は、今のコロナウイルスの状況を説明するには適していない。いったん蔓延したウイルスが一気に自滅するには、テレパシーで申し合わせたかのように一斉に複製ミスを犯さないといけない(強いウイルスが一定数生き残る限りそこからまた急速に増える)ことになるが、もちろんそんなことは起こりそうもない。

medical_koutai_man.pngワクチンの普及が感染拡大の鈍化に効いていることは、間違いなさそうである。接種率で先行するイスラエルやイギリスなどは今でも感染者が増えたり減ったりを繰り返しているが、日本が明らかに違うのはワクチンを終えた人も含めて大多数がマスク着用を続けていることだ。そこまで律儀じゃなくてもいいんじゃないかと以前は思っていたが、抗体の減少やブレークスルー感染の話もあるのでまだしばらくは様子見である。接種率の数字そのものは集団免疫には遠いが、マスク効果とのあわせ技で実効再生産数が1を切ったということなのか?

もしワクチン+マスクがそれほど有効なら、そもそも強烈な第5波にやられた理由は何だったのかという疑問が残る。東京都モニタリング会議の分析によれば(9月16日付「東京大会について」PDF)、東京の実効再生産数のピークはオリンピック開会前日の7月22日だったそうである。東京都はこれを根拠にオリパラは安全安心だっと言いたいようだ。ただしオリンピックに関わる海外の請負業者や外国メディアの入国者数は、五輪開催中よりも準備が佳境の開会前に多かったはずで、実効再生産数が増加していたタイミングとむしろピタリと符合する。五輪関係の入国者は、アスリートよりも観客の目に触れないスタッフのほうがずっと多かったことは、改めて指摘するまでもない。

あまり大々的に報道されていないが、英米から来た五輪設営業者4人が酔って警察沙汰になった挙げ句、コカイン使用疑惑で逮捕される珍事件があった。これが報道されたのが7月13日、開会式の10日前である。そこで、こんな仮説はどうだろう。開会に先立ち各種五輪関係者の流入が増え、マスク嫌いな文化圏の人たちの一部が夜の東京で羽根を伸ばしていた。たまたまその周囲にいた日本人が巻き添えでウイルスを持ち帰り、ステイホーム観戦が家庭内感染の温床になった(観戦と感染が同じカンセンでややこしい)。五輪関係者が帰国し国内の熱気が引く時期を見計らったように第5波が引いていった事実とも矛盾しない。別に本気でそう信じているわけではないし、仮説を裏付ける証拠もないが、他に第5波の動きをトータルに説明できる理論もまた存在しない。

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真鍋さんの話 [科学・技術]

earth_nature_futaba.png真鍋淑郎博士がノーベル物理学賞を受賞したという一報が飛び込んできた。気候科学分野がノーベル物理学賞の対象になったことに、とても驚いている。オゾン層破壊の解明に寄与した研究が、ノーベル化学賞の対象に選ばれたことはある。でも物理学賞は基礎科学指向が強く、地球科学のような応用分野には縁が遠いと思っていた。

何よりも、その受賞者の一人が真鍋さんだったことがとても嬉しい。真鍋さんの世代の気象学者の中には、戦後間もない混乱期の日本を離れ、米国に渡り活躍の場を得た方が何人もおられる。その系譜に連なる荒川昭夫、真鍋淑郎、柳井迪雄といった大先生の名は、現代気象学の黎明期にあって世界の最先端を切り開き、後進に計り知れない影響を与えた綺羅星のごとき巨人たちである。

その巨人の一人が、私の所属する大学に特別待遇で招かれしばし滞在したことがあった。当時既に80歳に近かったはずの真鍋さんは、小柄な体格のどこにそんな体力を秘めているのか不思議なほどエネルギッシュな方だ。セミナーで講演を始めると、スクリーンの前を所狭しと歩き回り、時間超過を意に介さず熱く語り続ける。真鍋さんの最も有名な業績は、地球気候の成り立ちをシミュレーションで再現する方法論を考案した研究で、その基礎は1960年代に遡る。現代のスパコンとは比べ物にならない当時の計算機に立ち向かうためには、その欠点をカバーする深い物理的洞察が要求される。真鍋理論の真髄の一つは湿潤対流調節という着想で、雲を含む対流が大気の熱的構造を形作る過程をシンプルで美しい表現で再現する。

真鍋さんは、気候システムという複雑怪奇な巨木に絡みつく枝葉を削ぎ落とし、中央に屹立する幹を見据えることにこだわり続けた人だ。計算機の急速な高速化にともない気候モデルが精緻化の一途を辿る21世紀にあって、真鍋さんは必ずしも常に時代の先端で旗を振ってきたわけではない。真鍋さんご自身の口から、歯痒さに近い想いを聞いたこともある。数値モデルのスペックが高度化していくことは必然的な技術の進歩だが、同時にその根底に流れる決して変わらない物理の本質がある。長いキャリアを通じて頑なにその本質を見つめ続けてきた真鍋さんだからこそ、最高の敬意をもってノーベル賞授与につながったのだと思う。その意味で、真鍋さんは今回の朗報を驚きつつも心から喜んでおられるに違いない。

10年以上前だが真鍋さんが名古屋を再訪された際、私のオフィスにひょいと顔を出して「マスナガさん、また来ました」と朗らかに握手を求められたことがある。無名の若輩者の名前を覚えてくださっていたこと、本来はこちらから挨拶に伺うべき非礼を意にも介さず訪ねて下さったことに、ひどく恐縮した。私の名前については、単にオフィス前のネームプレートを読んだだけかも知れない。そうだとしても、私を一人前の研究者として扱ってくれる気遣いが嬉しく、その日は一日ずっと幸せな心地だった。研究者としては届くはずのない高みにおられる真鍋さんに近づけることが一つあるとすれば、誰にでも分け隔てなく同じ目線で接する心の広さだと、肝に銘じていたい。

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総裁選の顔ぶれ [政治・経済]

seiji_kokkai_gijidou.png岸田文雄さんが自民党総裁選を制し、第100代総理に就任する見込みだ。とくに驚きはないので余り書くこともないのだが、自国の首相が代わるのに完全スルーも何なので、いちおう触れておく。

下馬評ほど河野太郎さんの票が伸びなかったことが話題になった。一票差とは言え、初戦ですでに岸田さんに敗れている。それでも、党員票では河野さんが頭一つ飛び出していた。議員票で岸田さんに完全にひっくり返され、政界の意向が強く効きすぎる制度の建付けに異を唱える人は少なくない。派閥のしがらみで物事が決まっていく風通しの悪さは、確かにあるだろう。だが同時に、総裁に相応しい人は人気投票よりも政治のプロが選ぶということでもある。それはそれで理にかなっている。

河野さんご本人とその支持に回った小泉さんと石破さん(小石河連合とか言われている)は、いずれも永田町の中より外で人気の高い政治家である。この三人の共通点は、何か改革してくれそうな人という壊し屋のイメージだろうか。河野さんは物言いに忌憚がなく、役所のハンコ廃止やワクチン政策で実行力を発揮した。だが、発言力や実行力だけでは組織のトップには立てない。河野さんは、言わなくていいことを口走り反感を買う悪癖がある。失言の多い政治家は(首相経験者を含め)少なくないが、その元凶は世間と常識感覚がズレてる場合が多い。河野さんはむしろ逆で、国民人気を背に調子に乗ってしまったのか、「部会でぎゃあぎゃあ」発言のように身内を敵に回す失態を犯す。仲間から信頼を勝ち得ない人は、リーダーには向いていない。

高市早苗さんは、4人の候補の中ではいちばん言語能力の高い人のようである。頭の回転が早く、質疑応答の反射神経が冴えている。右に寄り過ぎているので個人的にはちょっと受け付けないが、(どの国でも同じで)ゴリゴリの保守は国家的自己愛に酔いしれていたい人たちから鉄板の支持がある。しかし左右のどちらに振れすぎても、思考のバランスを欠くのでどこかで行き詰まる。ポスト安倍を狙って突っ走るのも良いが、高市さんはもう少し中道近くまで歩み寄ってまろやかに熟成すれば、そのうち総裁の本命候補になるかもしれない。

野田聖子さんは真面目な政治家だが、真面目すぎるせいか政策の力点が各論に落ち込んでしまい、国家を率いる哲学というか「リーダーの匂い」があまりしない。総理より大臣クラスが一番向いておられるのではないか。泡沫候補であることを百も承知で参戦する野心は(皮肉でなく)尊敬する。

総裁選で自民党支持率が上がったそうである。野党は外野でずっと批判ばかりしていた。それより総裁選レース予想でもしてワイワイ盛り上がった方が、国民の注目を浴びたのではないか。各候補者の得票率をピタリと当てる野党議員がいたら、来るべき総選挙で恰好の売り文句に使えたかもしれないのに。

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