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ちょっとした不測の事態 [その他]

前回のブログの末尾で、出張先でコロナ感染しないよう気を引き締めたい、と書いた。結果的には、少々気を引き締めたくらいではオミクロンは防げない、ということを身をもって知った。日本から来た他の参加者数名とともに、出張計画が思わぬ延長戦に突入している。世界中から200人近い研究者が集まる会議で日本の関係者ばかり感染したのは不思議だが、実際には感染した場合に「判明せざるをえない」のが、帰国前検査が必須の国から来た人だけだいうことである。私は発熱なし咳なし鼻水なしのまったく無症状で、検査の必要がなければ何も知らずに時が過ぎていただろう。

とりあえずは判明翌日から5日間ホテルで待機する(米国CDCルール)。無症状でも5日では陰性にならないケースは少なくないようなので、仕切り直しの可能性も否定できない。旅程変更に伴うもろもろの事務作業はや用務代行の調整など、家族や同僚にいろいろな負担や迷惑をかけてしまった。とにかく気が滅入る状況ではあるが、必ずしも悪いことばかりではなかった、と言うことを今日は書きたい(諸対応で疲労困憊したおかげでようやく時差ボケが吹っ飛び熟睡できたこともその一つだ)。

一番印象的だったのは、「コロナ先進国」である欧米圏の人たちが見せるある種のおおらかさである。日本はコロナにかかれば腫れ物に触るように社会から隔離される悲壮感がまだ消えていない。こちらでももちろん一定の隔離ルールはあるが、そのあいだも人目を避けて籠っている必要は必ずしもない。昨日はもともと5人程度でビジネスディナーの予定であり、私が事情を説明して辞退したら、しばらくして「17:30に会議場の外に来い」と連絡が来た。彼らが夕食前にわざわざ一時間以上の時間を割いてくれ、普段はマスクをしない欧米人が揃ってマスクを着用し、風通しの良いパティオで飲食抜きの討議の場を作ってくれたのである。下っ端の私抜きのミーティングでも大した支障はなかったはずだから、表向きは誰も何も言わなかったが、背後に漂う深い気遣いに胸が熱くなった。

tewotsunagu.png会期中に接触のあった同僚たちに連絡したところ、その反応が人それぞれで楽しかった。大変だろうけどなるべく早く帰れるといいねという返信が殺到し、車を出せる人からは買い物で必要なものはないかと申し出があったり、中には「たとえリスクがあっても君と会話できてよかったよ」とわざわざ書き添えてくれる人もいた。上述の経緯により会議場の外で待っていたときは、事情を知る仲間が通り過ぎるたびに次から次へ話しかけてくれた。過去に欧州第一波とオミクロンで二回感染を経験した女性は、私の姿を見つけるなり歩み寄って来て「おめでとう!ついに!あなたも!」ととても嬉しそうな顔をした。何度も泣きそうなくらいに胸が詰まった。

コロナ感染して良かったとは全く思わないが、感染しなければ触れる機会のなかった人の優しさにたくさん出会えたことは間違いない。これからまだいろいろ困難はありそうだが、何とかやっていけそうな気がする。

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勇気をもらう [その他]

pose_kandou_man.pngスポーツ選手などが偉業を成し遂げたとき、それを見ていた人が「勇気をもらいました」などとコメントすることがある。しかし勇気を「もらう」ということが何を意味するのかよくわからない。そもそも「君に勇気をあげる」と言う人は少ない(いないわけではないが)。誰もあげたつもりもない勇気を勝手にもらうのは、ドロボーではないか。

勇気を出す、勇気を奮い起こす、という表現はわかる。勇気は自分自身の中にもともと潜んでいるものだ。足りない時に人からホイともらえるものではない。たぶん、「勇気づけられる」というニュアンスに近い意味で「勇気をもらう」と言っているのではないかと想像する。勇気づけられると言うときは、きっかけは誰かの行動に刺激されてはいても、あくまで奮い立てる勇気は自分自身のものだ。

なぜ素直に「勇気づけられる」と言わずに「勇気をもらう」と表現するのか?想像するに、「勇気づけられる」という語感が、ちょっと重すぎるからじゃないか。本当は単に「すごいと思った」くらいの月並みな感想しかないところ、表現をいくらか盛ってみたいときに便利な決まり文句が「勇気をもらう」なのではないか。この言葉を発明したのがどなたかはわからないが、当初はその違和感が逆に新鮮な響きで受け止められていたのかもしれない。だが散々使い回されるうちに、「勇気をもらう」も月並みで陳腐な言い回しになった。そろそろ次の表現を誰かが思いついてもいい。

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どこからでも切れます [その他]

20年ほど前、アメリカで携帯を契約しに行った時の話。スマホ全盛の今から想像もできない無骨なデザインの携帯(ガラケーどころでない旧式の電話)を購入したのだが、初期設定のためプラスチックケースから取り出そうとした若い店員が、ハサミを片手に苦戦を始めた。どういうわけか、とにかくパッケージが開けづらい。「こいつどうしても開けてほしくないのか」と呟きながら大格闘の挙句、ようやく取り出した携帯の周りにはバラバラに崩壊したケースの残骸が無残に散らばっていた。代わりましょうかと途中で口を挟もうとしたが、彼があまりに真剣で言い出せなかった。たぶん私が交代しても結果にたいした違いはなかっただろう。

cooking_pack_tare_syouyu.png日本製品はあらゆる意味で洗練されていて、ふつうパッケージも開けやすいよう随所に工夫されている。ただ、考えすぎて裏目に出た残念な例もある。たとえば、弁当の調味料などを入れる小袋にありがちな「こちら側のどこからでも切れます」というアレだ。表面が乾燥していればいれば問題ない。しかし、ドレッシングとしてサラダに同梱されている場合などは、野菜の水分のせいでツルツルに滑る。どこからでも切れるはずが、どこからも切れない。結局、ハサミを持ち出して自分で切る。私がぶきっちょな事実は否定しないが、不器用な人でも使い勝手がいいものを作るのが発明ではないのか。

昔はこの種の小袋には一か所切れ目が入れてあったはずだ。今もそのタイプは少なくない。それで何の支障もないからである。切れ目をいれず「どこからでも切れる」ようにしてみたところで、何か便利になったか。むしろユーザにひと手間増やしてしまう迷惑を、これを開発したどなかたかは頭をよぎりもしなかったか?「どこからでも切れます」をやめろとは言わないが、せめて緊急脱出装置として切れ目をひとつ入れておいてほしい。

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和傘と洋傘 [その他]

鳥の翼と蝙蝠の翼は遺伝的には無関係だが、羽ばたいて飛ぶという機能が同じなので似たような形状に進化した。このような例を収斂進化という。ジャイアントパンダとレッサーパンダがともに笹を主食とし前足に第6指を持つのも、地味ながら驚くべき収斂進化の一例である。本来はレッサーパンダが「元祖」パンダであることは以前触れた(パンダの話)。

tsyuyu_kasa.png昔から関心を持っているがいまだに結論の出ていない疑問がある。和傘と洋傘は歴史的に同じルーツを持つのか、それとも独立に開発された収斂進化なのか?材質は違えども、畳んだ傘をバサッと開く基本構造は驚くほどよく似ている。

固定式のパラソルは紀元前から存在したようだが、開閉式の洋傘は13世紀のイタリアが発祥と言われる。当時はもっぱら日傘として使われていたようである。洋傘が雨を防ぐ用途に普及したのは意外に最近で、18世紀のことだ。もともと女性のアイテムだった日傘を紳士用雨傘に転用することを思いついた英国人は、当初笑い者になったという逸話がある。それ以前の欧州では、雨が降れば濡れて歩くのが当たり前だったのだ。

一方、開閉可能な和傘が日本史に登場したのは鎌倉時代とされている。ほぼ同じ頃イタリアで発明された開閉型の洋傘とのつながりを思わせる痕跡はない(洋傘が日本に入って来たのはもう少し後の時代のようである)。どうやら収斂進化のようだ。和傘は鎌倉時代にはすでに日傘と雨傘いずれの需要もあったそうなので、現在のような雨傘文化は西洋より日本がはるかに先行していたことになる。梅雨も台風もないヨーロッパと違い、雨露をしのぐニーズが高い日本の気候が独自の和傘文化を育んだということか。

傘が手放せない鬱陶しい季節がやって来た。折り畳み傘の小型化や軽量化の技術開発は進化を続けているものの、傘としての基本的な機能や構造は太古の昔からほとんど変わらないまま、現代でも老若男女問わず欠かせない日用品であり続けている。これほど人類史に深い爪痕を残した発明品が、ほかにどれほどあるだろうか。少なくともイタリアと日本には開閉型の傘を独立に開発した天才的な職人が存在したはずで、歴史の教科書に名を留めるべき偉人だと思うが、不幸なことに誰もその名を知らない。

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誤送金問題の余波 [その他]

山口県阿武町の誤送金問題がいろいろ不可解である。町役場は463世帯に各10万円のコロナ給付金を振り込み終えてから、総額4630万円を丸ごと一人の口座に別途送金するという理解不能なミスを犯した。その送金先がよりによって実に厄介な男で、町の返還要請を拒否してオンラインカジノにつぎ込むというあり得ない展開に発展する。ところが、ネットカジノの決済代行業者のほうが何も言わず男のつぎ込んだ総額を町に送り返してきた。事実は小説より奇なり、を地で行くような話である。

casino_chip.pngオンラインカジノなるものをやったことがないのでその仕組みをよく理解していないが、カジノの経営母体は海外にある。所在国の法律に沿って合法的に運営されている会社もたくさんあるそうだが、日本国内から海外のネットカジノを利用することが日本の賭博法に照らして違法性はないのか、人によって言うことが違う。必然的に決済代行業もグレーなビジネスのようで、阿武町の弁護士はそのあたりの弱みを巧妙に突いて業者から金を取り戻したと報道されている。もともとは町側の失態なのだから、この案件に関する限りカジノ代行業者に非があるとは思えないが、下手に法廷闘争に持ち込んで芋づる式に墓穴を掘るよりは、泥をかぶってでもさっさと手を打ちたい。そんな業者の本音が見透かされていたということだ。

実際のところ代行業者がどのくらい自腹を切ったのか、その詳細は(少なくとも今のところは)表に出ていない。ふつうのカジノでテーブルゲームをやるときに現金をチップに替えて賭けるのと同じで、ネットカジノでは代行業者にまずデポジットするようである。例の男はある業者に3500万円ほどデポしたという話だが、そのうちどれくらい既に消費したのかわからない。本人は全額「使った」と証言し、彼の弁護士は(やや奥歯に物の挟まった言い方で)それを全額スッたと解釈したようだが、当人は代行業者に入金したことを「使った」と表現しただけかもしれない。本当に3500万の大半をスッていたのなら代行業者がかなりの大金を肩代わりしたことになるが、それすら手切れ金として必要経費という相場感だったのであれば、それだけこの業界の闇は深いということか。

一方、今回の顛末が日本全国でオンラインカジノとやらへの興味を喚起した一面は否定できない。実際に試してみる人も出てくるかもしれない。業界の市場規模は見当もつかないが、メディアが勝手に宣伝してくれる広告費と思えば、決済代行業者は3500万円くらい喜んで払うということかもしれない。東京キー局のテレビCM放映料は15秒あたり数十万から百万円が相場ということで、連日各局こぞって報道番組やワイドショーでネットカジノの話を丁寧に掘り下げていることを思えば、充分に元を取れているのではないか。

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河瀨さんの祝辞 [その他]

sotsugyo_boushi.png東大の入学式で映画監督の河瀨直美さんが祝辞を述べた(全文が東大のWWWページに掲載されている)。全体を通して読めば、上から目線で訓辞を垂れる「伝統的」な祝辞と違って、混沌とした闇に一条の光が差し込むような心に響くメッセージだと思う。ただ、この祝辞のある部分がちょっと物議をかもしたようである。問題のパラグラフがこれだ。
管長様にこの言葉の真意を問うた訳ではないので、これは私の感じ方に過ぎないと思って聞いてください。管長様の言わんとすることは、こういうことではないでしょうか?例えば「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?人間は弱い生き物です。だからこそ、つながりあって、とある国家に属してその中で生かされているともいえます。そうして自分たちの国がどこかの国を侵攻する可能性があるということを自覚しておく必要があるのです。そうすることで、自らの中に自制心を持って、それを拒否することを選択したいと想います。
この前半部だけ読むと、ロシアの「正義」を容認かつ普遍化しているようにも読めるところが危うい。確かに絶対的な正義というものは存在しないが、かと言って何でもかんでも相対化すれば良いわけでもない。ゼレンスキー大統領がNATOに秋波を送ったせいでプーチン大統領がキレたのだからウクライナも悪い、というような正義の相対化をはかる人が日本の政治家の中にもいる。しかしこの理屈は「あいつがガンつけたから殴った」とか「いじめられっ子にも問題がある」というのと大して変わらず、そこに見るべき正義はない。

ただ河瀨さんが言いたかったのは、たぶんそういうことではない。「あいつらが悪い」は「私たちは正しい」と常に表裏一体で、その二極化に思考停止してしまうと社会は暴走しかねない。河瀨さんの祝辞のなかで、彼女が金峯山寺を訪れ管長と言葉を交わした出来事が語られる。
この管長さんが蔵王堂を去る間際にそっとつぶやいた言葉を私は逃しませんでした。 「僕は、この中であれらの国の名前を言わへんようにしとんや」 金峯山寺には役行者様が鬼を諭して弟子にし、その後も大峰の深い山を共に修行をして歩いた歴史が残っています。節分には「福はウチ、鬼もウチ」という掛け声で、鬼を外へ追いやらないのです。この考え方を千年以上続けている吉野の山深い里の人々の精神性に改めて敬意を抱いています。
このあと、上に引用した箇所につながる。人の心には善と悪が共に棲んでいて、己の悪にも怯まず向き合えと諭す話とも読める。思うに、河瀨さんはプーチン大統領が語る「神話」を信じ続けるロシアの人々の心について触れるべきだったのではないか。彼らこそ、「自分たちの国がどこかの国を侵攻する」事実と向き合う機会と勇気を、まさに現在進行形で迫られているのだから。

私たちが対立する世界のどちら側に付くのか、それは好むと好まざるに関わらず歴史の成り行きに翻弄される。二つの世界を隔てる壁は、思いのほか脆い。

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私事で恐縮ですが [その他]

kouchou_sensei_speech.png祝いの席のスピーチだったり芸能人が私的な出来事を発表するときだったり、「わたくしごとで恐縮ですが」という枕詞がよく使われる。なぜ私事を話すのに恐縮しないといけないのか、考えてみると不思議だ。おそらく、私のプライベートなんて皆さん関心ありませんよね、差し出がましくてホントすみませんね、ということなのかと思う。だったら黙っていてもいいわけだが、恐縮ですと断っておいて結局長々と話し出すところがミソだ。要は、自慢やのろけを聞いてほしい本音をカムフラージュする社交辞令が「私事で恐縮」ということなのだと思う。

若い芸能人がよく「・・・させて戴きました」を過剰に連発する。「・・・に出させて頂きまして」「・・・を見させていただいて」などと一見すると礼儀正しい物言いだが、本来は「出演致しまして」「拝見しまして」でいいはずだ。むやみに謙遜して見せる慇懃さが、いちいち私事に恐縮するメンタリティと相通ずるものを感じる。

インスタグラムのようにリア充な毎日を一方的に発信するツールが全盛で、フォロワーが大勢つけば「わたくしごと」の拡散がマーケットとして成立する時代である。それが当たり前の若者たちが昭和世代の仕切る縦社会(芸能界とか)に組み込まれると、私事を語るだけで恐縮する和の雅を教育される。そんな文化的衝突の軋みが、チグハグな謙譲語に表れているんじゃないかという気がするのである。

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プリンはどう食べるのが正しいのか [その他]

キナ臭い世界情勢を尻目に、どうでもいい話題を一つ。プリンはどっちが上なのか、という話だ。

sweets_purin.png饅頭やどら焼きのように対称形をしている菓子は別にすると、スイーツは普通上下が決まっている。ショートケーキを逆さに置く人はいない。プリンの場合、カフェなどで頂く場合はふつうキャラメルソースの面が上に来て、富士山型になる。ソースが自然にプリン全体にかかって、多分これが本来の食べ方としては正しい。

一方、コンビニ等で買うプリンはカップに入っているので、カップから出さず逆さ富士状態のまま食べる人が多いと思う。この場合の問題は、キャラメルソースが下面に沈んでいるので、最後の最後まであのほろ苦い甘さに到達できないことにある。これを回避するには、スプーンの最初の一撃でプリンの層に深い穴を穿ち、閉じ込められたキャラメルソースをまず漏出させることになる。邪道のような気もするが、スプーンの先からキャラメルソースが染み出す瞬間は、鉱泉を掘り当てたようなワクワク感がないでもない。

この矛盾を解消するべく発明されたのが、プッチンプリンである。底面に空気穴を開けることで、カップからストンとプリンが落ちる。画期的な発明だ。グリコが取得したこの特許はだいぶ前に期限が過ぎているので、他社が真似してもいい。だが、プッチン以外でこのカップ構造を利用した製品はほとんど見ない。なぜか?

理由はいくつか考えられる。一つは、敢えて二番煎じには走らないという菓子メーカーの矜持。売上には直結しない単なるプライドだが、開発者も誇り高き人間だから実情は案外そんなところかもしれない。二つ目は、カップのまま食べるのが初めから想定仕様になっている場合。カップ入りの焼きプリンは焼き目が表にあるので、そのまま頂くのが正解のように思う。三つ目は、大抵のプリンは空気穴くらいでは簡単に取り出せない可能性。プッチンプリンはぷにぷにと柔らかいが、ふつうプリンはもうすこし固めに作られている。たぶん、プチッと爪を折ったくらいではストンと出てこないのではないか。生半可カップの構造だけ真似しても無駄ということかもしれない。

自家製でプリンを作るときは、アルミ容器から取り出すときにヘリを押さえたり軽く振ったりしながらそっと取り出すと思う。購入したカップのプリンも同じように皿に空ければ良いかもしれない。だがそれなりに高度な技術で、慣れた人でないとプリン崩壊のリスクと隣合わせだ。無残に変わり果てたプリンを皿からすくって食べるよりは、カップから直接食べるほうが気分がいい。プリンをどう食べるかという課題は、敢えてリスクを取るか安定志向に走るか、人生観を試される瞬間でもある。

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オリンピックマスコット [その他]

BingDwengDweng.jpg北京冬季オリンピックのマスコット「ビンドゥンドゥン」の人気が急上昇しているようである。一見パンダがガラスの壺にハマって身動きできなくなっているようにも見えるが、オリンピック公式サイトによれば氷を模した宇宙服状のコスチュームをまとっているのだそうである。目力にかすかな狂気を感じさせるが、ちょっと昔までは遊園地でドラえもんやミッキーに似ていなくもない雑な着ぐるみキャラクターが徘徊していた国であることを思えば、じゅうぶん及第点のゆるキャラと言えよう。

過去のオリンピックのマスコットは公式サイトで確認できるが、正直のところどれもあまり記憶に残っていない。オリンピックは高邁な理念とか国威発揚などあれこれ使命を引きずるから、マスコットも背負わされるものが多くどうしてもデザインが理屈っぽくなる。あれもこれも詰め込もうと思うと、奈良県の「せんとくん」のように化け物感が表に出てしまう(実際にロンドンオリンピックの一つ目マスコットなど妖怪感が全開である)。幅広い人気を獲得するゆるキャラの共通点は容姿に無理がないことで、「熊本者だからくまモン」みたいに一発芸で攻める方が筋がいいし見た目も普通にかわいい。

直近では、東京オリンピックのミライトワがその「影の薄さ」ゆえに話題になった。東京オリパラは開催直前まで運営サイドの炎上案件が続出したので、とばっちりを恐れて露出を控えていたのかもしれない。ミライトワ自身に特段の問題があったとは思わないが、何の生き物かすらよくわからないし(デジタル世界で生きているのだったか?)、ぬいぐるみにして抱きしめたいと思わせる愛情喚起力は弱かっただろうか。反面、ビンドゥンドゥンは単なるパンダなのでわかりやすい。結局、デザインに余計な思想をあまり詰め込まなかったことが人気の勝因ではないかと思う。

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あれから50年 [その他]

ski_jump.png北京の冬季オリンピックが始まった。スキージャンプの小林陵侑選手がノーマルヒルで優勝し、今大会で日本勢初の金メダルをもたらした。オリンピックで日本のスキージャンプ選手が優勝したのは1998年長野大会以来、ノーマルヒルに限れば1972年の札幌大会(当時ノーマルヒルは70m級と言った)以来の快挙だという。札幌大会の70m級では日本人選手が金銀銅をもぎ取って表彰台を独占し、全国が歓喜に湧いたであろうことは想像に難くない。今なら〇〇ジャパンとでも連呼されていたかもしれないが、当時の呼称は昭和臭も豊かな「日の丸飛行隊」だったようである。奇しくも小林陵侑選手の金メダル獲得と同じ2月6日の日曜日、ちょうど50年前の出来事であった。

子供の頃、生まれた日の新聞一面のコピーを販売するサービスを書店の片隅で見かけた。元手がかからないわりに法外な値段だ、とぼやきつつ親が買ってくれた紙面コピーを、しばらく大切に取ってあった。結局失くしてしまったので記事の詳細は記憶にないが、モノクロ紙面のセンターで満面の笑顔を輝かせる三人の男性の姿だけはおぼろげに覚えている。1972年2月7日の朝刊はもちろん、前日に五輪の表彰台で肩を寄せ合う日の丸飛行隊の勇姿を伝える内容だったはずである。とは言え当日生まれたばかりの本人には、日本の冬季オリンピック史上に燦然と輝く大記録の瞬間を覚えているはずもない。

戯れに同じ2月7日生まれの有名人を探すと、聖徳太子の生誕が西暦換算で574年2月7日ということだそうである。聖徳太子と同じ誕生日とはつい自慢したくなる話だが、もともと真偽不明な伝説の多い人であるし、6世紀の記録にどこまで信ぴょう性があるのか定かではない。現代の著名人では、ノーベル物理学賞の故益川敏英博士や俳優の向井理さんが同日生まれである。ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんは1972年2月7日生まれで、歳も同じだ。むかし従兄弟にその話をしたら、「いいとこ全部もってかれたんちゃうか」と言われた。

49歳と50歳の最大の違いは、十の位を四捨五入すると100歳に繰り上がってしまうことで、まだ若いという苦しい言い訳はもはや通用しない。一生の折返し地点をとうに過ぎたことは別に構わないのだが、50年も生きたわりに人間の中身が追いつかない我が身を振り返ると気が滅入る。だが葛飾北斎は90歳を目前に亡くなる間際、あとせめて5年あれば真の絵描きになれたのにと言ったと伝えられている。北斎ですらそうだったのであれば、凡人が齢50で一人前などおこがましいにも程がある。人生まだ始まったばかりと思えば、いくらか気が楽になる。

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