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天災は忘れた頃に [社会]

suigai_teibou_kekkai.pngこの夏も、全国で気象災害が相次いだ。熱海の土砂災害をはじめ、8月半ばには梅雨がぶり返したような長雨が各地で水害を引き起こした。日本に限らず、ドイツとベルギーを襲った洪水被害や、ハリケーン・アイダがルイジアナからニューヨークまで広い地域で大規模水害をもたらしたのも記憶に新しい。天災は忘れた頃にやって来るとよく言われるが、近頃は忘れる間も無くせっせと到来するので、むしろタチが悪い。

「天災は忘れた頃に来る」とは、科学者で文人でもあった寺田寅彦の言葉とされている。しかし寺田本人が書いた文章のなかには、このフレーズはどこにも存在しない。中谷宇吉郎ら寺田の弟子たちが、出典を確かめずに伝えた箴言のようである。ただし寺田寅彦の思想を反映した警句であるのは事実で、実際にプライベートでそう呟いていたのかも知れない。

寺田晩年の作品に『天災と国防』という随筆がある(青空文庫で読める)。都市化でインフラが高度化するほど地震や気象災害に対してむしろ脆弱になること、激甚な天災ほど頻度が稀であるから備えが疎かになりがちなこと、など現代の私たちにとっても耳の痛い慧眼の書だ。こんな一節がある。
文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。
まさに、天災は忘れた頃にやって来るということである。ちなみに後半の文言は「前車の覆るは後車の戒め」という故事に掛けている。

寺田寅彦が『天災と国防』を世に問うた動機はもちろん、自然災害に対する警戒意識が低い国情への危機感である。だが寺田が本当に言いたかったことは、それだけはないように思う。『天災と国防』が発表された1934年(昭和9年)は、大恐慌勃発から5年後、五・一五事件から2年後、国内外の情勢が次第にキナ臭さを増しつつある時代だった。随筆のそこかしこに、忍び寄る戦争の予感がにじみ出る。例えば、終わり近くのこんな下りだ。
人類が進歩するに従って愛国心も大和魂もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭して敵の陣営に突撃するのもたしかに貴い日本魂であるが、◯国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずるのもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。
盲目的に軍備拡張へ邁進しつつある国家に、いったん立ち止まって冷静な科学的思考を求める寺田寅彦だが、その声が当時の政府に届くことはなかった。『天災と国防』を書いた翌年に世を去った彼は、その先に待ち受ける歴史的悲劇を見届けることはなかった。

21世紀を生きる私たちは、寺田寅彦が夢想した「現代にふさわしい大和魂の進化」とはだいぶ違う世界に暮らしているかもしれない。しかしコロナ禍に直面するいま、「国民一致協力して適当な科学的対策を講ずる」意味は、依然として大きい。

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