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不要不急 [社会]

kadomatsu_gouka.png大晦日に東京都の新規陽性者が1,300人を超えたとかで、例年にない緊迫感のなかで年が明けた。昨年の新語・流行語大賞に3密が選ばれ、「今年の漢字」第一位も「密」だった。確かに、ネットやテレビで人が密集する映像を目にするだけで思わずゾッとする、妙な心理的条件反射が身に付いてしまっている。でももし私が選ぶなら、コロナに悩まされた2020年を端的に象徴する言葉は、不要不急だ。

不要不急の外出を控えて下さい、と何度言われたことか。欧米のロックダウンでは食料品や日用品の調達以外では外出を許されない場合もあるが、日本では不要不急の線引きは各人の判断に丸投げされる。そしてその線引きを間違えると、近所の自粛警察がお仕置きにやって来る。責任を取りたがらない政治と、その空隙を埋める社会の同調圧力。日本固有の曖昧で冷たい(しかしそれはそれで機能している)コロナ対策が、不要不急というどこか他人事の匂いがする一言に象徴されている。

私たちにとって、何が不要で何が不急なんだろう?友だちと外食したり旅に出たりコンサートに行くのは急を要しないかも知れないが、客を失う飲食や観光や音楽業界にとっては不要不急どころか死活問題だ。しばらく離れ離れだった遠方の家族や恋人に会いに行くのは、不要な外出なのか?高齢者介護施設でポツリと暮らす老いた親を訪ねるのは?不要不急という雑な言葉で白黒をはっきり分けられるほど、人の心も社会も単純にできてはいない。

もう一つコロナ関連で気になるワードを上げるなら、アクセルとブレーキか。感染防止か経済かという議論の中で、アクセルとブレーキを同時に踏むなという意見がある。でも、問題の所在はそこではない。経済派はアクセルを踏まないと車は進まないと言い、感染抑止派はブレーキを踏まないと事故になると言い、どちらも歩み寄ろうとしないことのほうが病的だ。車を運転する人は誰しも、状況を見ながら臨機応変にアクセルとブレーキを適切に踏み変え、安全に目的地に到着する。ひたすらアクセルを踏み続ける人も、頑なにブレーキをかけ続ける人もいない。コロナ対策だって同じことではないか。

不要不急なら車は乗らないで、と訴える事故防止キャンペーンは聞いたことがない。安全運転を心がけて下さい、と呼びかける方が普通だろう。安全運転に自信がない(または自覚がない)なら路上に出ないほうがいいが、感染防止のため私たち一人ひとりが何をすればよいのか、すでに多くのことがわかっている。全国の新規感染者が一時4千人を超えたとは言え、欧米に比べ未だに桁で少ない我が国の状況から察するに、日本は基本的な運転マナーを心得ている人が多いようである。長期戦に備えてメンタルを整えつつ感染を制御するには各人が何をすべきか、賢明で前向きな戦略を考え続けていこう。

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