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潮目が変わる [社会]

iryou_choushinki.pngコロナ第二波までの頃に比べ、世論の潮目が変わってきたなと感じることが幾つかある。一つは医療への眼差しだ。日本は民間病院でコロナ患者を引き受けている割合がかなり低いとか、回復した重症患者の転院先が見つからず病床が空かないとか、医療が必ずしも一枚岩ではないことを匂わせる報道が目に見えて増えた。献身的な医師や看護師の使命感には今でも頭が下がる思いだが、少しでも批判めいた発言を口にすることも憚られる「聖域」だった医療が、もはや神聖不可侵とは見做されなくなった。

医師会などが外出自粛呼びかけに積極的に声を上げ続けてきた努力が、裏目に出始めている気配もある。医療現場の悲鳴が毎日のようにネットやテレビで鳴り響くので、普段から感染対策に心を砕いている人までずっと責められている気分になる。これが一年続いた結果、医療が大変なのはわかるけど・・・とみんな食傷気味だ。そんなとき民間病院の8割弱はコロナ患者を診ていないと聞かされると、正直モヤッとする人も多いだろう。国内の民間病院は充分な感染対策を講じるインフラや人員が確保できない中小病院が多いとかで、一部に過酷な負担が集中するのは日本医療が抱える構造的な問題のようだ。国はというと、コロナ患者の受け入れ勧告を拒む医療機関名は公表するなどと、脅しに近い腹案までチラつかせている。下手をすれば、このまま政府も国民も医療から心が離れていきかねない。医師会は、広報戦略を仕切り直す局面に来ているのではないか。

潮目が変わったもう一つは、東京オリンピック・パラリンピックだ。国内世論は、しばらく前から懐疑的な意見が大勢を占めている。表向きは相変わらず強気の森喜朗組織委員会会長が、内輪の講演会で「内心もしかしたらという思いがないわけではないが」と珍しく弱気の本音を漏らしたという。口が滑ったのかも知れないが、滑ったと見せかけて中止ないし再延期に向けた最初の布石を打ったか、と穿った見方もできなくはない。ほぼ時を同じくして、河野太郎行革相が延期や中止(とは言わなかったが)に含みを残すニュアンスでオリパラに言及し、内外のメディアをざわつかせた。実際のところ曖昧過ぎて何も言っていないに等しかったのだが、閣僚の口から曖昧な発言が出ると当然真意を勘繰られるし、政治家ならそれくらいの反応は想定内で物を言っているはずだ(この人の場合は単に正直すぎるだけかも知れないが)。

たくさんの人が動けばたちまち感染が拡大することを、私たちはすでに嫌というほど学んだ(オリンピックのリスクについては昨年5月の記事から私の感触はあまり変わっていない)。自由に観客を入れる開催形態は、現状では想像し難い。仮に無観客としても、オリンピックの規模では相当数の選手やスタッフとメディアが、ありとあらゆる国から訪れる。日本のコロナ医療キャパを思い返せばなおさら、今夏のオリパラ決行に前向きになれる要素はほとんどない。タイムズ紙が何やら不穏な報道をしたようで、政府も組織委員会も立場上簡単に投げ出すわけには行かないと思うが、水面下では最もダメージの少ない引き際を必死に考えていたとしても不思議ではない。

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