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あれから50年 [その他]

ski_jump.png北京の冬季オリンピックが始まった。スキージャンプの小林陵侑選手がノーマルヒルで優勝し、今大会で日本勢初の金メダルをもたらした。オリンピックで日本のスキージャンプ選手が優勝したのは1998年長野大会以来、ノーマルヒルに限れば1972年の札幌大会(当時ノーマルヒルは70m級と言った)以来の快挙だという。札幌大会の70m級では日本人選手が金銀銅をもぎ取って表彰台を独占し、全国が歓喜に湧いたであろうことは想像に難くない。今なら〇〇ジャパンとでも連呼されていたかもしれないが、当時の呼称は昭和臭も豊かな「日の丸飛行隊」だったようである。奇しくも小林陵侑選手の金メダル獲得と同じ2月6日の日曜日、ちょうど50年前の出来事であった。

子供の頃、生まれた日の新聞一面のコピーを販売するサービスを書店の片隅で見かけた。元手がかからないわりに法外な値段だ、とぼやきつつ親が買ってくれた紙面コピーを、しばらく大切に取ってあった。結局失くしてしまったので記事の詳細は記憶にないが、モノクロ紙面のセンターで満面の笑顔を輝かせる三人の男性の姿だけはおぼろげに覚えている。1972年2月7日の朝刊はもちろん、前日に五輪の表彰台で肩を寄せ合う日の丸飛行隊の勇姿を伝える内容だったはずである。とは言え当日生まれたばかりの本人には、日本の冬季オリンピック史上に燦然と輝く大記録の瞬間を覚えているはずもない。

戯れに同じ2月7日生まれの有名人を探すと、聖徳太子の生誕が西暦換算で574年2月7日ということだそうである。聖徳太子と同じ誕生日とはつい自慢したくなる話だが、もともと真偽不明な伝説の多い人であるし、6世紀の記録にどこまで信ぴょう性があるのか定かではない。現代の著名人では、ノーベル物理学賞の故益川敏英博士や俳優の向井理さんが同日生まれである。ヴァイオリニストの諏訪内晶子さんは1972年2月7日生まれで、歳も同じだ。むかし従兄弟にその話をしたら、「いいとこ全部もってかれたんちゃうか」と言われた。

49歳と50歳の最大の違いは、十の位を四捨五入すると100歳に繰り上がってしまうことで、まだ若いという苦しい言い訳はもはや通用しない。一生の折返し地点をとうに過ぎたことは別に構わないのだが、50年も生きたわりに人間の中身が追いつかない我が身を振り返ると気が滅入る。だが葛飾北斎は90歳を目前に亡くなる間際、あとせめて5年あれば真の絵描きになれたのにと言ったと伝えられている。北斎ですらそうだったのであれば、凡人が齢50で一人前などおこがましいにも程がある。人生まだ始まったばかりと思えば、いくらか気が楽になる。

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