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サカバンバスピス [動物]

kodai_sacabambaspis.png4億年以上前に絶滅した古代魚が、いま静かなブームを呼んでいるらしい。その名をサカバンバスピスといい、化石が最初に発見されたボリビアのサカバンバ村に由来する。古生代オルドビス紀に生息していた無顎類の一属だそうである。

舌を噛みそうな名の古代魚が脚光を浴びた経緯がまた謎めいている。ヘルシンキ自然史博物館の片隅にひっそり展示されていたサカバンバスピスの復元模型を、古生物学を研究する大学院生がX(旧ツイッター)に上げた。すると、そのすっとぼけた愛らしいビジュアルが、なぜかフィンランドから遠く離れた日本でバズった。試しにググってみると、イラストやぬいぐるみからTシャツのプリントに至るまで、ゆるキャラ化したサカバンパンピスがそこかしこに溢れている。

ヘルシンキ自然史博物館の模型やそれをもとにした図案では、サカバンパンピスの体の終端は団扇状の尾鰭で終わっている。不完全な化石資料から再現した初期の想像図なのかもしれないが、実際にはその先に細長い尾が伸びていたようだ(参考←このサイトのイラストも絶妙な愛嬌が憎い)。胸鰭を持たない寸胴な体つきから察して、泳ぎは上手くなかったであろうと推測されている。サカバンパンピス本人にしてみれば、余計なお世話かもしれない。

無顎類という名の通り顎をもたず、サカバンパンピスの口はいつも開けっ放しであったらしい。その不器用さが、じわじわくるルックスの秘密と思われる。無顎類は現代ではその大半が絶滅してしまい、円口類に属する二類(ヌタウナギとヤツメウナギ)だけが現存している。ウナギという名が付いているが似ているのは細長い見た目だけで、いわゆる鰻とはまったく別の生物だ。円口類は脊椎動物の中でもっとも原始的な部類で、遺伝的には鰻とヤツメウナギより鰻とヒトのほうがまだ近縁だとどこかで聞いた記憶がある。

初期の人類が地球上に現れたのは、せいぜい数百万年前くらいだ。私たちは、46憶年の地球史でごく最近になって表れた新参者に過ぎない。サカバンパンピスは、想像を超える太古の昔、地球史にいっとき名を刻んだ遥か大先輩である。とぼけた顔をしているからと言って、侮ってはいけない。

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羽生さんの離婚問題 [その他]

ice_skate_kaiten.png羽生結弦さんが突然離婚を発表し、巷を驚かせた。結婚報告から4か月に満たない急展開も予想外だったが、離婚の理由として過剰な取材や誹謗中傷被害を訴えたことも衝撃であった。私生活まで無遠慮に踏み込まれた心中を察するととても気の毒だが、だからと言っていきなり離婚か?と多くの人が首を捻ったに違いない。

圧倒的な人気と実力を誇る羽生さんは、熱狂的なファンが多い反面、何かとケチをつけたがるアンチも現れるし、中にはストーカー化しかねないファンもいるだろう。彼はずっと以前から、賞賛と中傷が入り乱れる喧噪に耐えて来たはずである。ただ今回の案件がこれまでと違うのは、彼一人の世界で閉じる問題ではなくなったことだ。家族を守るという人生初の命題に羽生さんが選んだ解決策は、家族を解消する究極の選択肢だった。とてもストイックで少しぎこちない、現役時代の彼の印象そのままと言えなくもない。

羽生さんは自己プロデュースに長けた人である。スケートリンク上の彼は一貫した美学を追求し、虚構の世界で独り舞う彼にファンは陶酔した。そう考えると彼にとって結婚とは、リンクを降りた実生活をいかにプロデュースするかという未知の難題だったのではなかろうか。社会の過剰な関心からお相手を守るのが至上命題なら、いろいろな対処策があり得たと思うが、彼の美学に適う最適解は離婚以外に見つからなかったようである。

もちろん夫婦二人の間で何があったのかは他人の測り知るところではないし、とくに(元)奥様の心中は一切表に出てきていない。羽生さんより8歳上という彼女の目に、事の顛末はどんなふうに映っているのだろう?類稀なスケーターが演出する哀しく美しい世界観を共有していたのか、それとも強すぎる世界観を共有し続ける限界を見つめていたのか。二人の人間の美学が完全に一致することがあり得ない以上、そのずれを許容することでしか夫婦は成立しない。もし奥様だけがそれに気付いていたのだとしたら、シングルで頂点を極めたフィギュアスケーターがペアやアイスダンスの舞台で同じように輝けるとは限らない、ということだったのかもしれない。

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宝塚問題とミルグラム実験 [社会]

宝塚歌劇団のパワハラ問題が論議を呼んでいる。規律や礼儀作法の厳格さは昔から知られていたが、自殺者が出たことでその妥当性が改めて問われているようである。学校でも体育会系の部活にありがちな厳しい「指導」がもやは時代に合わないと言われて久しく、基本的な問題の構造は宝塚に限った話ではない。チームワークに規律は不可欠だが、密室内の上意下達に依存した「指導」は得てして暴走する。なぜ似たようなできごとが繰り返されるのかを考えるとき、私が思い起こすのはミルグラム実験だ。

ミルグラム実験とは、米国の心理学者ミルグラムが1960年代に実施した有名な心理学実験である。俗称アイヒマンテストとも呼ばれ、ナチス政権下でユダヤ人虐殺の実務を主導したアイヒマンを念頭に、権威者の影響のもとで凡庸な人間が冷酷な殺人を犯すに至る心理状況を検証しようとした。

science_machine_denatsukei.pngミルグラム実験では、被験者は別室の「生徒」を電気ショックで罰する役割を与えられる。生徒に設問を与え、誤答するたびパネル上のスイッチから電気を流す仕掛けだ。回を重ねるごとに電圧が上がり、スピーカー越しに聞こえる悲鳴が次第に切迫していく。たいていの被験者は戸惑うが、実験の責任者は平然と被験者に続行を指示する。良心に耐えかね実験を中断した被験者もいたが、実に6割を超える被験者が、促されるまま電圧450Vに至る最終段階まで実験を完遂した。

実際には実験の「生徒」はサクラで、電流は一切流れておらず、苦痛の悲鳴は演技に過ぎなかった。とは言え、どこにでもいる善良な市民が、致死相当の電気ショックを無実の第三者に与えることを拒否しない、という実験結果は議論を巻き起こした。服従の心理などと整理されることもあるが、ミルグラム実験の被験者は強制も恫喝もされていない。6割超の被験者は、なぜ途中で止めなかったのか?「生徒」の悲鳴を聞いて、引きつった笑い声をあげる被験者もいたという。電圧のつまみを回す恐怖は、倒錯した快楽と表裏一体ではなかったか?権威(実験の責任者)を盲信し自らを思考停止に追い込むことで、心の闇が囁く残虐な誘惑を正当化しようとしたのではないだろうか。

宝塚や体育会系の部活には、アイヒマンにとってのヒトラーのような眼に見える権威は存在しない。代わりに、先輩から後輩へ脈々と受け継がれる不可侵の伝統がある。後輩がやがて先輩になった時、かつて自身の受けた「指導」を行使する権利を進んで享受する。それが微弱な電流で終わるのか、命を危険にさらす高電圧までエスカレートするのか。ミルグラム実験の結果が暗示する人間の性を思えば、いつか「指導」の針が振り切れるのは、むしろ時間の問題だったとも言える。

宝塚のような組織において、規律と作法を伝える伝統が重んじられる必然性は理解できる。しかし、たとえ伝統は真っ当だったとしても、その正統性に守られていると過信すると人間は盲信と思考停止の罠にハマる。つまるところ、各々が自身の心の闇を見据え暗い誘惑から目を背けることでしか、たぶん問題の根源は解決しない。

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大谷翔平のグローブ [スポーツ]

大谷翔平選手が、全国の小学校に総計約6万個のグローブを寄贈すると発表した。スケールのデカい話だが、今回書きたいのはそのこと自体ではない。大谷選手がインスタで公開した日英併記のメッセージに興味を引かれたのである。次のような下りがある。
このグローブを使っていた子供達と将来一緒に野球ができることを楽しみにしています!
これに相当する英文はこれである。
I’ll be looking forward to sharing the field one day with someone that grew up using this glove!
基本的な文意は共通するものの、いくらかニュアンスが違う。

sport_baseball_glove.png日本語は「子供達と将来一緒に野球ができること」というほのぼの感が前面に出ていて、(イチロー選手がやっているように)高校球児を指導に来て一緒にキャッチボールに興じるような印象をうける。一方英文は「このグローブを使って育った誰かといつか共に球場に立つこと」と言っているから、むしろメジャーリーグでガチな試合の緊迫感を分かち合いたいのではと思わせる。大谷選手が書いた原文は日本語と思うが、英訳の過程で「子供達」という不特定多数の意味合いが薄まり単数形の「someone that grew up...」に化けたのはなぜか?機械的な直訳ではまず出てこないニュアンスの変化で、日本語と英語の双方をよく理解している誰か(水原さんか?)が意図して訳出してこうなったはずである。

日本語のメッセージを見た第一印象として、6万個のグローブを使う子供のうち実際に大谷選手と「将来一緒に野球ができる」子はごく僅かだろうなあ、と思った。もちろん、リップサービスとしては充分成立する。ただ、本当に将来メジャーリーガーになって大谷選手と(彼の現役中に)対戦できる人材となると、それこそ通算で数人いるかいないかのレベルだ。そこまであからさまに対象を限定してしまうと、リップサービスとしても無理がある。

邪推だが、大谷選手はわざと日本語と英語で建前と本音を使い分けたのかもしれない。日本は人を才能で特別扱いしたがらないある種の平等至上主義が根強いので、「選ばれし誰か」よりも「子供達」全体に語り掛ける方がウケがいい。そこで、日本語では無難な公式メッセージを発しつつ、英語には(彼の意を汲んだ水原さんの助けを借りて)密かな本音を込めたのではないか。大谷さんは本心では、いつかメジャーの球場で「大谷選手のグローブ、昔使いました」と言ってくれる若手選手に出会いたいんじゃないだろうか。

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なめとこ山の熊 [文学]

animal_bear_character.png宮沢賢治は、他者の命を犠牲に生を紡ぐ生物界の掟に真正面から向き合った人である。『よだかの星』のよだかは、飲み込んだ虫が喉元を通過するたび、自身が奪う小さな命を思って胸がつかえる。生きるために不可欠な殺生の罪について考え続け、その行く末に安らぎの地平を見出そうとする葛藤の軌跡が、宮沢賢治作品のそこかしこに垣間見える。

『なめとこ山の熊』は、そんな宮沢賢治が到達した独特な世界観の結晶である(青空文庫で読める)。小十郎という熊取り名人の猟師となめとこ山に住む熊たちの生き様が、朴訥とした語り口に時折ハッとする美しい情景描写を散りばめながら綴られる。物語の中盤、銃を構える小十郎に一頭の熊がこう問いかけるくだりがある。
「おまえは何がほしくておれを殺すんだ」
「ああ、おれはお前の毛皮と、胆のほかにはなんにもいらない。それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」
「もう二年ばかり待ってくれ、おれも死ぬのはもうかまわないようなもんだけれども少しし残した仕事もあるしただ二年だけ待ってくれ。二年目にはおれもおまえの家の前でちゃんと死んでいてやるから。毛皮も胃袋もやってしまうから」
果たして二年後、熊は律儀に約束を果たす。住処の前で息絶え横たわる熊を前に、小十郎は思わず両手を合わせるのだ。

小十郎と熊は、端から平和に共存することの叶わない宿命を生きている。しかしその残酷な運命を分かち合っているからこそ、両者は不思議な共感の絆で結ばれている。小十郎の足元を見て熊皮を二束三文で買い取る町の商人と対照的に、熊と小十郎の関係はどこまでも対等で誠実だ。年老いた小十郎はある日、大きな熊の襲撃に遭う。そのとき熊は「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」と呟き、小十郎は「熊どもゆるせよ」と心に言い残し息絶える。やがて小十郎の亡骸の周りに山の熊たちが集結し、厳粛な敬意をもって小十郎を弔う場面で物語は幕を下ろす。

今年、全国各地で熊の襲撃による人的被害が記録的な件数に上っているという。やむなく地元のハンターが熊を駆除すると、地域外の人間から「なぜ殺した」と浅薄な苦情が相次ぐそうだ。そこでふと思い出したのが、『なめとこ山の熊』だ。宮沢賢治が描く世界は現代の日本と遠くかけ離れているとは言え、彼が考え続けた思索の深さと温かみは、今なお心に重く刺さるものがある。

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カルディ店頭のコーヒー [その他]

カルディ・コーヒーファームという全国チェーンの食料品店がある。その名の通り本来はコーヒー豆を売る店だが、輸入食品の品揃えが多彩なことで知られ、ちょっと珍しい食材を求めに来店する客がメインではないかと思う。個人的には、ハーブティーとワインとマンゴージュースを目当てに時おり買い物に行く。

カルディで必ず売っているCelestial Seasoningsという米国コロラド州拠点のハーブティー・ブランドがある。現地に住んでいたころどのスーパーでも売っていたのでいつも買っていたし、ボールダーにある本社の工場見学に行ったこともある(製造ラインで稼働するロボットは日本製だと聞いた)。日本で買うのはいくらか割高だが、絵本の一ページのようなパッケージが懐かしい。

cafe_coffee_beans.pngコロナ前はよく、カルディの店頭で無料コーヒーが小さな紙コップに注がれ振舞われていた。とくにカルディで買い物のない日も、そばを通ればコーヒー目当てに立ち寄り軽くウィンドウショッピングしていたものである。しかしコロナ禍になって試飲サービスが中止になり、コロナが5類扱いに格下げになった今年5月以降も一向に再開の兆しがなかった。梅雨が明け暑い夏が到来し、熱中症リスクの注意喚起も手伝いノーマスクで歩く人が着実に増えた。それでも、かつて店員さんが立ちっぱなしでコーヒーを淹れてくれていた店頭の小さなデスクは、頑なに無人のまま放置されていた。

ところが一ヵ月前くらいだったか、カルディのコーヒーサービスがついに再開した。三年ぶりに味わうカルディの試飲コーヒーは、以前と変わらずブラック党には少し甘すぎる。しかし、私がこれを待ち望んでいた本当の理由は、率直に言えばコーヒーの味とは関係ない。クィっと飲み干したちまち空になった紙コップの底を見つめながら、ああこれでようやくコロナが終わった、と思った。私にとってコロナ禍の終息とは、5類変更でもピークアウトでもなく、カルディが再び店頭でコーヒーを振舞い始めた時だと密かに決めていたのである。

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ライドシェア問題 [社会]

岸田首相がライドシェア解禁に前向きな意見を表明した。諸外国ではとっくに社会に根付いているサービスだが、日本の現行法ではいわゆる白タクで違法である。タクシー業界の反発で法改正が進まなかったと言われるが、昨今の慢性的なドライバー不足が社会問題化し、ついに政府が重い腰を上げた。

欧米でウーバーやリフトが普及した背景の一つは、タクシーの評判が芳しくないことである。運転手が無愛想で運転が荒いのは当たり前、(私自身は悪い体験はないが)ぼったくり被害のうわさも後を絶たない。一方ライドシェアサービスは、運転者の評価を乗客があらかじめ確認でき(逆にドライバーも乗客の評価を確認できる)、料金は事前登録クレカの前払いで完了する明朗会計である。地図アプリのナビのおかげで、ドライバーは現地の地理に精通している必要もない。本来はプロのサービスであるタクシーへの信頼が薄い文化圏では、制度設計がクリーンであればアマチュアドライバーの代替サービスでも歓迎される。ウーバーが急成長した秘訣の一つは、そのニーズを読んだ慧眼にあると思う。

car_taxi_wagon.png一方、日本はタクシーが提供するサービス水準の高い国である。車内は清潔で運転手は概して礼儀正しく、客を乗せながらスマホで友人と大声で電話することもなければ、無茶な割り込みでクラクションを鳴らされることもなく、もちろんボッタくりは起こり得ない。以前のように、タクシー乗り場に必ず空車が待っていて、呼べばすぐ迎車がやって来るのが当たり前であれば、素人ドライバーが提供するライドシェアを望む需要はとくに存在していなかったのである。しかし、コロナ禍を経てタクシー業界の人手不足が顕在化した今、マーケットに巨大な空隙が突如出現した。

法改正が進んだとして、日本にウーバーが根付くだろうか?利用の仕組みはGOのような既存のタクシー配車アプリと変わらないから、使い勝手はすぐに馴染むだろう。課題があるとすれば、日本人が有料サービスに対して要求するハードルの高さである。タクシーのサービス水準が高い事実そのものが、良く言えば日本のおもてなし文化、悪く言えば顧客優位社会の象徴とも言える。ライドシェアはある意味、売り手と買い手が人間的に対等な欧米社会の商慣行が前提のシステムだ。それを日本型のマーケットに移植したとき、素人ドライバーのサービスと上から目線の顧客のあいだで微妙な摩擦が頻出しないか、少し気がかりである。

ウーバー慣れした外国人観光客にはライドシェアはたちまち重宝されるだろうが、利用者が旅行客だけではマーケットは成立しない。ライドシェアサービスが日本人の「お客様は神様」マインドにすんなり受け入れられるのか、ある種の社会実験として興味深い。

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ロックアウト [その他]

ロシアのウクライナ侵攻に続いて、今度はハマスとイスラエルの戦争が勃発した。気の滅入る速報ばかりニュースのヘッドラインを埋め尽くし、ブログを更新する気力も起こらない。誰かに頼まれて書いているわけでもないのでしばらく放置して何ら支障はないのだが、こういう時のために『コロラドの☆は歌うか』復刻企画があることを思い出した。

暗い世相なので、渡米後まだ間もない頃に書いたお気楽な記事を掘り起こすことにする。現地でアパート入居の当日に遭遇した、トホホな出来事の顛末である。



私は生涯に一度だけパトカーに乗ったことがあります───というとずいぶん昔の出来事に聞こえるかもしれませんが、何のことはない、つい昨年(注:2002年)のことです。しかも、日本では一度も厄介になったことのないパトカーに、アメリカに着いて一週間も経たないうちにお世話になってしまいました。念のため付け加えておきますが、何ら法に触れる行為に及んだわけではありません。私のしでかした間違いは、自分のアパートから一歩踏み出してドアを閉めた、ただそれだけだったのです。

その日は、アパートの契約をして入居した当日でした。一通り新居の内装と設備の点検を済ませ、付き添ってくれた研究室のボスが帰った後に、デジカメで部屋の写真を撮りまくっていました。家の写真を撮ったのは、1ヵ月半後コロラドにやって来ることになっていたオクサンの不安
 (隣家は10km先、四方は人影のない砂漠で、
 穴の開いたブリキのバケツが突風に吹かれて
 庭先をカラカラと転がっていき、…)
を払拭しておく必要があったからです。私の住まいは勤務先の大学が経営するアパートで、隣家は10kmどころか壁をはさんだ10cm先にありますし、窓の外には青々とした芝生(最近水不足のせいで色あせ気味ですが)が広がり、壁には大学のネットワークに直結するイーサネットのジャックまで付いています。

部屋の中を一通り撮り終えたので、アパートの表構えをフィルムに収めることにしました。左手にデジカメを持ち表に出て玄関のドアに右手をかけた瞬間、私はこのドアがオートロックであったことを思い出しましたが、自分で何をしているのか意識する間もなく、私の右手は躊躇うことなく扉を閉めていました。

その後どのくらいの時間だったか、これは何かの間違いではないか、初日早々に自分の家から締め出されるなど馬鹿なことがあっていいものか、という思いが頭をぐるぐる駆け巡っていましたが、玄関は押しても引いてもびくともせず、ポケットには鍵はおろか小銭一枚入っておらず、手元にあるのは当面の状況打開にはおよそ役に立たないデジカメ唯一つです。

とにかく、何とかしなければいけないことは分かっていました。既に夕方6時半をまわっていたので、閉まっているだろうと思いつつアパートの管理事務所に回ってみましたが、案の定そこは既に真っ暗で鍵が下りていました。入居当日では、助けを求めるにも顔見知りの隣人がいるわけもありません。契約時の説明で、時間外に担当者と連絡を取る際の携帯番号を書いた紙を渡されたのですが、その時の書類一式はそっくりアパートの部屋の中でした。それを部屋に取りにいけるくらいなら、初めから誰も困りはしないのです。

car_patocar_america.png途方にくれた挙句に天啓のようにひらめいたアイディアは───というのは嘘で、じつは事態に気付いた直後からうすうす意識しつつ極力回避したかった選択肢なのですが───大学直属のポリスに助けを求める、ということでした。担当者の携帯にも連絡を取れない夜中などは、大学の警察に連絡をつけなさいという管理事務所の指示を私は覚えていました。もちろんポリス・デパートメントの連絡先も部屋の中でしたが、私はたまたまキャンパスを移動中に警察の建物を見かけてその場所を知っていました。
しかし、とにかく私は気が進まなかったのです。もし一度でも、渡米早々不器用な英語で警察に話をつけに行くはめに陥ったことのある人なら、それも自分のアパートを開けてくれという情けない頼みごとのために出向いたことがあるのなら、私がその時どれほど気後れしていたか分かっていただけると思います。おかげで旅疲れも時差ぼけもすっかり吹き飛んでしまいました。

意を決して出かけたポリス・デパートメントの受付は、人気がなくがらんとしていました。カウンターは既に閉まっていて、緊急用のインターホンだけが冷たく私を見据えていました。この期に及んで私は未だ心を決めかね、用件のある方はマイクに向かって話すようにと書かれたパネルを穴が開くほど見つめていると、突然スピーカーが"CAN I HELP YOU, SIR?"とがなりたて思わず飛び上がりそうになりました。カメラで私の一挙手一投足を監視されていると気付いて私はますます気力が減退しましたが、なんとか気を取り直しインターホンに向かってしどろもどろに事情を説明しました。すると、行って開けてあげるからそこで待ちなさいということでしたので、少しホッとして硬いベンチに腰掛け誰かが出てくるのを待ちましたが、一向に動きを見せる気配がありません。私が英語を聞き間違えたのか、ここに居座っていてはいけないのかと不安になってそわそわし始めたころ、突然またスピーカがガリガリ鳴り出しあともう少し待てという指示が飛んだかと思うと、また延々と居心地悪い沈黙が続きました。永遠に近い3,40分が過ぎたころついに出てきたのは若い警官で、表に回してあったパトカーの後部座席に乗るよう指示されました。

日本ではどうか分かりませんが、パトカーの前後の座席の間は見るからに頑丈そうな透明のアクリル板で完璧に仕切られています。おそらく、いかなる銃弾もこの板を貫通することは出来ないのでしょう。そしてもちろん、後部座席のドアは内側から開けることが出来ません。私はますます惨めな気分になってきました。キャンパスから私のアパートまではものの数分でしたが、その時の私はきっと、出来心でつまらない罪を犯して捕まった気弱な犯罪者のような顔をしていたに違いありません。

アパートの駐車場に付くと、警官はゆっくりとパトカーを降り、後部ドアを開けてくれました。何かにつけ警官の動作がのろいので内心じれったかったのですが、のろい理由は彼が常に私の挙動から目を離さず、また決して私の前を歩こうとしなかったからです。私が突然銃を抜くような気配を醸していたとはおよそ思えないのですが、自宅でロックアウトされたアホな一日本人のために命がけの緊張感で鍵を開けに行く彼に、なんだか申し訳ない気分がしてきました。

警官はアパートのマスターキーを持っていました。後から知ったのですが私のようなケースは結構頻繁に起こるらしく、比較的治安の良いこの町では大学のアパートの鍵開けが大学の警察の主要な仕事の一つなのかもしれません(他人事ではないが、少し笑える)。鍵が開くと私は部屋に置いてあったパスポートを警官に見せ、彼は無線を使って私が確かにこの部屋の住人であることを確認すると、あっさり一件落着しました。吹き飛んでいた疲れと時差ぼけがその後どっと舞い戻ってきたことは、言うまでもありません。

これが、事の顛末です。あまりに馬鹿馬鹿しいので滅多に人に話したことはなかったのですが、アメリカでパトカーに乗った日本人はさほど多くないと思われるので、今振り返れば貴重な体験だったのかもしれません。この事件に懲りて、わたしはキッチンからリビングに行く時すら玄関の鍵を肌身離さず持ち歩くようになりました。いつ出来心で外に出てしまうか、知れたものではないからです。この強迫症的な習慣から抜け出せたのは、ずいぶん後になってから───予めドアの内側のノブのつまみを45度回しておけばオートロックを解除できることにようやく気が付いたとき───でした。

(初出:『コロラドの☆は歌うか:番外編』2003年1月31日付)

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ジャニーズ会見は何だったのか [その他]

syazai_kaiken.png性加害問題に端を発するジャニーズ事務所の会見(二回目)が、予想の斜め上を行く迷走ぶりであった。どこから突っ込んでいいのか分からないほどだ。

一部記者の不規則発言で会場が荒れたとき、それを諫めようとした井ノ原氏の言い分が賛否を呼んだ。怒号が飛び交うカオスを「小さな子供たち」に見せたくないと彼は訴えたが、そもそもこの会見を見たがる子供がどれ程いただろうか?ジャニタレが出演しようとしまいと、記者会見はふつう大人向けのコンテンツである。

イノッチ個人は別に嫌いではないが、咄嗟に24時間テレビ的な安っぽい感動演出を記者会見にブチ込むのは、一流タレントの脊髄反射なのかもしれないがいささか趣味が悪い。ところが、その芝居がかった立ち回りをわざわざ拍手で称える記者たちがいた。芸能事務所と一部メディアがいかに浮世離れしたファンタジーの世界で共生しているのか、その一端が垣間見えた。

会見の後、指名NG記者の写真入りリストが存在していたことが暴露された。生半可ありそうな話だっただけに、驚きより脱力感を覚えた人も多かったに違いない。ジャニーズ側の言い分によれば、コンサル会社が用意したNG資料を井ノ原氏が見つけ問いただしたところ、ではNGリストの記者は会見後半で指名しますと回答があったそうである。

4時間超続いた一回目の会見に対し二回目は2時間で終わることが決まっていたのだから、同じ時間配分であれば「後半」指名分は時間切れで実現しないことは自明である。要は、コンサル会社がNG記者の指名は行いませんと暗に仄めかし、ジャニーズ事務所側もそれを黙認した、と自ら認めているわけだ。残念を通り越して、いたく滑稽な顛末である。

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中秋の名月 [科学・技術]

tsukimi_jugoya.png先週金曜日(9月29日)は、中秋の名月であった。中秋の名月とは、旧暦(太陰太陽暦)の8月15日(十五夜)に見られる月のことである。太陰暦の一ヵ月は、新月に始まり次の新月直前で終わるので、月半ばの15日頃に必ず満月を迎える。ところが、各種報道が「今年の中秋の名月は満月でしたが、次に満月を楽しめる中秋の名月は7年後です」などと言う。中秋の名月が、半月や三日月になったりすることがあり得るのか?

結論から言えば、もちろんそんな極端なことは起こらない。しかし厳密な意味での満月は、月が地球を挟んで太陽と真反対を通過する一瞬に過ぎない。その一瞬が十五夜の日に起こることもあれば、年によって1から2日ズレることがある。その理由は、月の公転軌道がわずかに楕円形だからである。軌道が真円から少し歪んでいるせいで、必ずしも軌道周期のど真ん中で満月の位置に到達するわけではない。さらに、満月の瞬間と日付が変わる時刻とのタイミング(月の公転と地球の自転の位相関係)にも依存する。

ともあれ1から2日はわずかな月齢の差に過ぎないので、たいていの人の目には充分満月に見えるだろう。日常感覚では、中秋の名月はいつも「だいたい満月」と言って別に間違っていない。TVニュースで「次の満月は7年後です」と科学トリビアを持ち出しても悪くはないが、澄まし顔でこれを言うキャスター当人は何故だろうと思わないのだろうか?疑問に思ってすらいない様子なのが、かえって不思議である。