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サヨナラって言います? [語学]

ホームラン・ダービーの結果は残念だったものの、大谷翔平選手の快進撃がすごい。ある日のゲームで打ち上がった彼のホームランボールを追い、「ウヮーオ、サ・ヨ・ナ・ラ!」と大興奮する現地の中継映像を見かけた。何のこっちゃ、と苦笑した人は多いと思うが、日本語と言えばアリガトとサヨナラくらいしか知らないアメリカ人は珍しくないので、大目に見てあげれば良い。

aisatsu_sayounara.pngところで、私たちは普段「さよなら」ってそんなに言うだろうか?最も世界で知られた日本語のわりに、当の日本人はさほど使わない言葉のような気がする。仕事帰りに席を立つときは「お先に」「お疲れ様」、友達どうしでは「じゃ」とか「またね」、かしこまった場では「失礼いたします」辺りが一般的ではないか。私自身、さよならと最後に発声したのがいつだったか、正直のところ思い出せない。「さよなら」は、敢えて口にするにはちょっと重い響きがある。恋人同士が別れるときなどに相応しい言葉だ。

「さよなら」を英語にGoogle翻訳してみると「Goodbye」が出てくる。ある意味で正しい訳だなあと思うのは、日本人が誰でも知っている英単語「Goodbye」も、日常的にはあまり聞かれない挨拶のような気がするからだ。電話を切る間際などに短く「Bye」と言うことは良くあるが、日々別れ際によく耳にするのは「See you」とか「Have a good day/evening」あたりだろうか。Goodbyeは一見して語感が軽めだが、もとを辿れば「God be with you(神が共に御坐すように)」が語源だそうで、宗教的な色合いが強くちょっと敷居の高い挨拶である。仏語に「Adieu」というヘビー級の惜別の辞があるが、ここにも神(dieu)が宿って少し近寄りがたい。

教科書に載っている定番のフレーズが、必ずしもネイティブが好んで使う表現とは限らない。「Thank you」への答えは「You're welcome」だと英語の授業で習ったはずだが、これは「ありがとう」に対して「どういたしまして」と答えるのに等しい。完璧に通じるからそれで良いと言えば良いのだが、私たちは日常会話で「どういたしまして」と本当に言っているだろうか?ありがとうに対しては「いえいえ」だったり無言の会釈だったり、もっと簡便に済ませるほうが普通ではないか。アメリカで「Thank you」と言ったら、返ってくる言葉はたぶん「No problem」とか「Sure」あたりが多いと思う。個人的には、発音が簡単な「Sure」を愛用している。

毎日のように使う言葉ほど、重く改まった表現は徐々に敬遠され、軽くて短いフレーズに収斂していく。でも、そこに込められる人の気持ちまで薄くなる一方というわけでもない。「またね(日本語)」「See you(英語)」「Au revoir(仏語)」「再見(中国語)」のように、いずれもまた会うことを念押しする別れの言葉が、国を問わず好んで使われる。単なる偶然の一致だろうか?

コロナ禍で、普段会えていたはずの人に長い間会うことの叶わない日々が続いた。「またね」と手を振りながら、また会える機会のかけがえのなさを想って胸が疼く。人類は長い歴史の中で、伝染病や戦争のように人と人を引き裂く苦難を幾度となく体験してきた。その辛い記憶が、私たちが何気なく使うことばを無意識に選び、日々の悲喜交々をひそかに彩っているのかも知れない。

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