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開会に寄せて その2 [スポーツ]

figure_shouka.png今回の大会ほど、直前になって炎上案件が次々と持ち上がったオリンピックは記憶にない。つい数日前に記事を書いたときは、小山田問題のあとにまだ爆弾が潜んでいるとは思ってもいなかった。本番二日前に小林賢太郎氏の「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」コント問題が突然持ち上がり、これまでの案件ではノラリクラリだった組織委が、今回はまたたく間に鎮火に乗り出した。

問題のコントはノッポさんの『できるかな』パロディで、箱いっぱいの人型切り抜きを持ち出してきた設定のゴン太くんに「あのユダヤ人大量惨殺ごっこやろうって言った時のな」と返し、その企画はプロデューサーから「放送できるか!」と怒られたというオチになっている。つまり放送禁止のタブーという暗黙の了解を前提に、あり得ないシチュエーションをシュールな笑いのネタにしたようである。しかし仮に外国のコメディアンが、広島・長崎の原爆投下をネタに「日本人大量惨殺ごっこやろうといった時のな、あ、これヤバいやつか」と笑いを取ったら、私たちはどんな心象を抱くだろうか。タブーとわかっていたのなら、もう少し心ある想像力を働かせていれば、あのコントにはならなかったのではないか。

欧米メディアの中には、小林氏の失言をAnti-semitic(反ユダヤ的)と表現した記事がいくつもある。この言葉には、ナチス・ドイツによるホロコーストは言うまでもなく、キリストの受難にまで遡る歴史的に根の深い諸問題が染み込んでいる。だから国際社会は、ユダヤ問題を揶揄する発言には極めて敏感だが、その緊張感は平均的な日本人にはなかなか想いが至らない。小林氏に反ユダヤの意図など微塵もなかったと思うが、欧米から見ればその無邪気さが逆に想像の埒外なのだ。ちなみに、この問題に抗議を表明したユダヤ系人権団体SWCのWWWページでは、小林さんと小山田さんの別案件をごっちゃにしている気配がある。色々な意味で、彼らの理解を超えているようである。(後日SWCのサイトは改訂され、小山田氏のいじめ案件と混同していた箇所は現在は削除されている。7月24日追記)

ちょうどオリンピックの開会式をテレビで見ながら、この記事を書いている。前半は少しダレ気味の感があったし、IOCの男爵は場が白ける冗長なスピーチでまたヒール感がパワーアップしたようだ。しかし、後半はかなり面白かった。競技ピクトグラムを敢えてアナログに再現するアイディアは新鮮で見事だったし、市川海老蔵と上原ひろみの異色共演が見られるとは思わなかった。コロナ禍のさまざまな制約の中でこれを造り上げた人たちの創意工夫と尽力に、頭が下がる。

聖火ランナーの最終走者が大阪なおみさんだったのは、いろいろあった組織委員会がひねり出した優等生的回答だなと思う。テニス界で名実ともに世界の先端を走るスター選手であり、BLM運動など社会の不平等問題に積極的な発信をする人である。オリンピックの精神に照らした組織委員会の「満点答案」が、彼女だったと言える。もっとも、テストで一番を取る子がクラスの人気者とは限らない。少なからぬ日本人は、吉田沙保里さん、王貞治さん、長嶋茂雄さんといった伝説アスリートを差し置いて大阪さんがトリに抜擢されたことに、微妙な後味を覚えたかも知れない。組織委員会は先生の顔色を伺うのに必死、という印象を新たにした幕切れだったと言うこともできる。

東京2020改め2021大会が(良い意味で)特別なオリンピックとして歴史に記憶されるか、今はまだわからない。ただ、紅白歌合戦の小林幸子のように年々ハードルが上がり続けたオリンピック開会式の演出を一旦仕切り直し、地味な手作り感に原点回帰するのもアリだと世界に示す機会としては、とても良かったと思う。

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