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ゲルギエフ問題 [音楽]

building_gekijou_theater_shitsunai.pngヴァレリー・ゲルギエフというロシアの指揮者がいる。風貌は『シャイニング』に出てくるジャック・ニコルソンを思い浮かべてもらえばさほど間違っていない。つまりちょっとヤバそうに見える人だが、タクトを握れば(彼はなぜか爪楊枝のような棒切れを使うが)抜群の切れ味で彫りの深い音楽を造り出す天才だ。ストラヴィンスキーやプロコフィエフのバレエ音楽を振らせると、荒々しい泥臭さと洗練された知性が奇跡のように溶け合う名人芸をやってのける。世界最高の現役指揮者の一人であることは間違いないだろう。

そのゲルギエフが、ミュンヘン・フィルの首席指揮者を解任された。プーチン大統領のダチとして知られるゲルギエフはウクライナ問題をめぐりロシア政権批判を求められたが、己の見解を明らかにしなかったことが理由である。彼が関わっていた欧州各地の楽団からも次々と締め出しを食らっており、四面楚歌の状況に陥っている。

この件で思い出したのがフルトヴェングラーである。泣く子も黙る偉大なマエストロだったが、第二次大戦中に祖国ドイツで音楽活動を続けた彼はナチス政権との関係を疑われ、戦後2年間ドイツ音楽界から追放された。フルトヴェングラーはナチス党員ではなかったし、ナチズムに傾倒することもなかった。しかし芸術は政治から自由だと信ずるフルトヴェングラーの純粋さが、皮肉にもナチス政府に利用される隙を生んだ。

ゲルギエフの場合はどうか。本人が沈黙している以上、本音はわからない。仮にゲルギエフが指揮台に立ち続ければ、「非人道行為を黙認するような人間の音楽は聴きたくない」と考える聴衆からブーイングを買うのは必至で、そんな空気がミュンヘン市の解任通告の背後にあるものと思われる。もしゲルギエフが公然とウクライナ侵攻を正当化するなら弁明の余地はないが、今のところそういう事実はない。本当に魂をプーチンに捧げているのかもしれないが、本意を公言できない何らかの事情があるのかもしれない。フルトヴェングラーの件もそうだが、表面に見えている要素だけで人を断罪するのは危険だ。

同じことは、北京パラリンピックについても言える。「ロシア選手と戦うなら出ない」という他国選手の声にIPCが押され、ロシアとベラルーシの選手が出場できなくなった。ロシア選手団の中にも、ウクライナ侵攻に心から反対する人はきっといる。そんな真っ当な選手たちまで問答無用に排除することが、オリパラの精神に照らして本当に正しいのか?

ふつう容疑者には黙秘権が認められていて、沈黙は有罪の根拠とは見做されない。しかしゲルギエフは一言も発しないまま容赦なく契約を解除された。社会の現実はフルトヴェングラーの理想からほど遠く、芸術は政治や社会の温度感から自由であることは許されない。ロシアがウクライナでやっていることは、もちろん許し難い。その正義が生み出す怒りは正当だが、怒りが正義を自己正当化し始めたとき、社会は往々にして余裕を失う。

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