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台風の名前 [科学・技術]

taifuu_top.png台風1号が発生したそうだ。気象庁は国内向けには台風を通し番号で呼ぶが、国際的には台風に名前を振る別のルールがある。小惑星のように、発見者が好きなように命名して良いわけではない。台風(北西太平洋・南シナ海で一定程度以上に発達した熱帯低気圧)については140個の命名候補があらかじめリスト化されていて、発生順に名前を振っていく。このリストは、周辺14か国が各々の言語から10ずつチョイスした単語で成立している。日本からは「こいぬ」「やぎ」「うさぎ」「かじき」「こと」「くじら」「こぐま」「コンパス」「とかげ」「やまねこ」がエントリーしている。このラインナップでピンと来た人もいるかもしれないが、いずれも星座の名前から取られている。脈絡はないが、深い意味がないからこそニュートラルで良いのだそうだ。リストの全貌は気象庁のサイトで見ることができる。

個性豊かなアジア名があるのに、国内向けにはなぜ無味乾燥な番号制なのか?台風「こぐま」とか、やんちゃそうで可愛いではないか。『超大型で猛烈な台風「こいぬ」に警戒して下さい』と言われると、ギャップ萌えで悶絶しそうである。もっとも140個のうち130は外国語なので、多くの場合は語感に馴染みが薄い。ちなみに、発生したての今年の一号は台風「マラカス」である。楽器のmaracasではなくて、タガログ語で「強い」を意味するmalakasだそうだ。国際的な論文誌などで発表する際は、日本人研究者も番号ではなく国際名を使う。

台風の名称は、以前は英語の人名が使われていた(上記のアジア名が使われ始めたのは思いのほか最近で2000年のことである)。アメリカでは今もハリケーンに人名を充てる。こちらも名称リストが定められていて、今年大西洋・カリブ海域で発生するハリケーンは「Alex」「Bonnie」「Colin」「Daniel」と続く。頭文字がアルファベット順で男女交互に並び、毎年リセットされる。これが6セット用意されているので6年で一巡することになる。東太平洋と中央太平洋で発生するハリケーンは、ルールの基本は同じだがリストは別に用意されている。中央太平洋版は西洋名ではなくハワイの伝統的な人名で構成されているそうだ。昔は女性名だけだったハリケーンが男女同数に変わったこととか、時代の変化に応じてポリティカルコレクトネスへの配慮に苦心した形跡が感じられ面白い。

ハリケーン名の頭文字は、QとかUとかあまり使われない5文字を除いた21字を用いる。しかし2020年はハリケーンの当たり年で、ストックが足りなくなった。そんな時はギリシャ文字(Alpha、Beta、・・・)を充てるのが旧来のルールだったが、EtaとかIotaとか発音が似ていて紛らわしくいろいろ不都合が生じたようである。2021年からは新ルールが導入され、22番目以降のため予備の人名リストが追加された。なおKatrinaのようにとりわけ甚大な被害をもたらしたハリケーン名は、リストから永久に除外される。この対応は台風のアジア名も同じで、固有名詞がまとう心理的影響力の強さを暗に物語っている。

ハリケーンの名前に絡む心理学的バイアスについて、2014年にちょっと面白い論文が米国科学アカデミー紀要に出た。女性名のハリケーンは男性名のハリケーンより甚大な人的被害をもたらす傾向にある、というのである。男性名だとハリケーンをより威嚇的に感じ速やかな避難行動を起こすが、女性名が付くと安心感が出て逃げ遅れがち、という解釈をこの論文は試みる。アンケート調査によれば確かに男性名のハリケーンにより強い危機感を覚える人が多く、中でも(調査の選択肢中で)一番脅威を与えた名前はオマールであった。アラブ系の名に最も恐怖を感じるのが現代アメリカ心理の深層だとすれば、それはそれで微妙な後味の話ではある。

この論文が正しいなら、台風「こいぬ」はそのほのぼの感ゆえに多くの犠牲者を出しかねないことになる。日本で台風が当たり障りのない通番で呼ばれているのは、防災の見地から合理的ということか。

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